企業カルチャーをはぐくむワンフロア主義から発想するオフィス戦略
昨今、インターネットの急速な普及に伴い「ネットリサーチ」という市場調査手法が急成長。郵送調査等の従来手法と比べ、圧倒的に「安く」て「早い」リサーチ手法として主流になりつつある。このような中、ネットリサーチ業界の先駆者である株式会社マクロミルは、創業からわずか4年で東証マザーズ上場、2005年4月には東証一部上場を果たし、驚異的な成長を見せている。今号の「成長ベンチャーに訊く」では、同社代表取締役会長CEO杉本哲哉氏より、先読みの難しい急成長企業におけるオフィス戦略についてうかがった。
株式会社マクロミル
代表取締役会長CEO 杉本 哲哉 氏
2000年1月、前職の(株)リクルートの同僚4名と(株)マクロミルを創業。独自に開発した自動インターネットリサーチシステム「AIRs(エアーズ)」により、スピーディ・低コストな市場調査「ネットリサーチ」を実現。設立からわずか4年で東証マザーズに上場、2005年4月には東証一部に市場変更している。また、国内42万人、海外30ヵ国500万人の調査モニタ数を誇る(06年5月現在)。
設立登記のために借りた創業時のオフィス
創業時、まずはどういった点でオフィスを選んだのですか?
杉本:第1に「ネットリサーチ」というインターネットベースでのビジネスをやるなら、先進のIT環境が必須です。2000年当時、都内で光ファイバーの敷設が最も早かったのは、千代田・中央・渋谷・港区等の都心部でした。
第2のポイントは社名の登記に関わる「区」をどこにするか。会社の商号は市区町村単位で類似商号の調査が必要ですが、港区では希望の社名が問題なく受理されました。その後、同じ港区で移転する際、この調査に煩わされずに済むメリットになります。
そして、自らの資金でも手の届く最初のオフィスを港区高輪に見つけ、起業したわけです。
オフィス登記の時機は「社名」との関わりがあったようですね。
杉本:マクロミルという社名は、当社URLのドメイン名と同じ"macromill"。新しいサービス「ネットリサーチ」を展開する私たちの社名を、一人でも多くのネットユーザに知ってもらいたかった。当社のブランディングを図っていくにあたり、社名とドメインを同一にすることは非常に効果的と考えたのです。
しかし、ドメインの取得は先願主義(早い者勝ち)で、当時はITバブルの真只中。様々な企業が社名と同じドメインを取得しようと躍起になっていました。ならば一刻の猶予も許されません。ドメインを押さえるために、社名を正式なものとして登記しなければならない。オフィス選びにも、これが影響したわけです。
ドメインの取得のためにもオフィスが必要だったわけですね。
杉本:しかし、高輪のオフィスはたったの8坪。オフィスとして使うにはあまりに狭かったのです。最初からもっと広い部屋を借りるのも選択肢の1つでしたが、当初は私個人の資金でやり繰りするしかなかった。結局、ここでは一度も仕事をすることなく、もったいないと思いながらも、事業を本稼働する際には別の物件を探しました。
その後移転したオフィスが、実質最初というわけですね。
杉本:創業時のメンバー総勢5名が集まり、みんなで資金を持ち寄ってのオフィス探しでしたが、やはりコストは抑えたい。交通利便性の低いエリアに立地するオフィスは、周辺に比べ大抵リーズナブルです。当時"陸の孤島"と呼ばれていた港区西麻布1丁目に手頃なオフィスを見つけ、移転しました。創業時は、屋内でのシステム開発業務が中心だったので、特段不便とは感じませんでした。
ここでシステムのカットオーバー(事業開始)をされました。
杉本:なんとかシステム稼働にこぎつけ、社員数は9名まで増えましたが、マンパワー不足。サービスを開始して、これまで以上に仕事が山積みになるのは明らかです。しかし人を雇うにもオフィスはすでに一杯でした。
その時偶然、対面にあるビルに空室が出たのを発見。その部屋は広さも値段も申し分なく、目の前なので引越しも楽です。また、システム稼働を機に増資することもでき、やっと資金に余裕ができたため、移転に踏み切りました。
立地はそのままでより広いオフィスへと移転したわけですね。
杉本:ここで初めてのオフィスらしい造作を経験。まず、貸室面積が40坪と増えたこともあり、今まで執務室等で代用せざるを得なかった会議室を2つ設置しました。そこで、初の全社員参加によるキックオフミーティングを開催。一堂に会する空間をフルに活用することで、会社の文化を醸成していこうとしたのです。
今思えば、当社はこの時期から、社員みんなが同じ空気を吸い、ダイレクトな交流を促す空間を重視しようという"ワンフロア主義"を実践し始めたといえるかもしれません。
移転のきっかけは営業力の強化
システムの稼働後、事業の進展はいかがでしたか?
杉本:サービスを開始したものの、「ネットリサーチ」は当時、まだ新しいリサーチ手法。調査対象がネット利用者に限られるため、データに偏りがあるのでは、という懐疑的な反応もあって、すぐには売上が伸びませんでした。
そこで、システム稼働後は、営業力の強化に取り組みました。受託請負型の調査業界に新風を吹き込むべく、ネットリサーチの有用性を理解してもらうために、営業スタッフを採用し、積極的な営業活動を行ったのです。
ならば、オフィスにも交通利便性が欠かせない。青山学院大学の程近くにオフィスを見つけ、渋谷へ移転することにしたのです。
その後、同じ渋谷区内で増床移転されています。
杉本:渋谷に移転後、営業に力を入れた甲斐あって、売上も着実に伸びました。そして社員も50名弱と増えたため、渋谷駅3分と、より駅までのアクセスが抜群のオフィスへ4度目の移転を行いました。
増床移転により、当時の全社員を収容できる会議室も設けることができました。区切りの時期に全員が集まっての社内イベントは、さらに大仕掛けとなり、会議室からの活気がオフィスに溢れんばかりでした。
ここまでの3年間で4度の移転。イニシャルコストは負担にならなかったのでしょうか?
杉本:当社は、その時々の身の丈に合ったオフィスへ"ヤドカリ式"に移転してきました。成長を過大に見込み、背伸びしたオフィスを借りれば、移転回数は減らせる。しかし事業が計画どおり行かなかった場合、これは大変なリスクとなります。実際、起業の数ヵ月後にはITバブルが崩壊し、資金計画の修正を迫られたこともありましたが、ファシリティコストを低く抑えていたことは不幸中の幸いでした。移転によるイニシャルは増えたものの、トータルではコストを低く抑えられ、さらにリスクヘッジもできたと考えています。
マザーズ上場を見据えた本社移転と地方拠点の開設
5つ目の渋谷オフィスで、具体的な上場準備を始められた。
杉本:当時、調査システム第2世代が稼働、地道な営業が実を結び、売上が増大。上場が現実味を帯びてきていました。上場を見据え、さらなる成長を図るには、人材の確保が不可欠です。しかし、5つ目の渋谷オフィスはその後の大幅な人員拡大に耐えられる器ではない。また、首都圏だけでなく、地方都市での顧客開拓にも力を入れなければならない。オフィス戦略は一大転機を迎えたといえるでしょう。
品川への本社移転を考える上での、ポイントは何でしたか?
杉本:拡大するであろう上場後の人員規模を包含し、かつ全社員を収容できる会議室を確保できることがまず一つ。そして二つ目は、地方とのアクセスを可能とする、高い交通利便性を有していることです。
品川駅は山手線をはじめ、JR4路線と京浜急行線が乗り入れる交通の要衝。加えて、2003年10月に新幹線が開通しており、設立予定だった関西支店とのアクセスを得る上で、絶大な威力を発揮できると考えました。さらに、当時品川駅港南口は、ここ数年の大規模開発により、ビジネス集積地として大きく変貌を遂げようとするエリアでした。
また、当社のビジネスにおいて非常に重要な顧客が、汐留等の品川周辺エリアに数多く集積しています。本社をできるだけ顧客に近づけたいのはもちろんです。
品川は最適な立地条件を備えていたわけですね。
杉本:港南口エリアの中心、品川グランドコモンズの中でも、駅から最も近い品川イーストワンタワーは、ワンフロア760坪と都内でも屈指のビッグスケール。整形無柱で拡張性にも富んでいます。加えて、品川駅直結の歩行者デッキは、天候に左右されない駅までの道程を得られます。当時の当社にとって、願ったり叶ったりのオフィスというわけです。
初の地方拠点である関西支店は、大阪・本町に開設されました。
杉本:地方拠点に求めたのは、広域をカバーし、本社との好アクセスを可能とするフットワークです。
大阪・本町は、新幹線の止まる新大阪駅に御堂筋線一本で乗り入れ、関西でも有数のビジネス集積地。新幹線によって、本社品川へはもちろん、中部から九州地方までもカバーする交通利便性が得られます。そして多くの関西企業が本社機能を置くビジネスゾーンであることからも、新規顧客開拓を最も効果的に進めやすいと判断し開設を決めたのです。
関西支店は、2006年4月に増床移転を行いましたが、やはり同じ御堂筋線沿線の今橋4丁目です。本町、今橋周辺の御堂筋線沿線エリアは、当社の地方拠点の立地として理想的なポジションの1つなのです。
採光を重視したオフィスづくり
本社を品川に移転後、どのようなレイアウトを施しましたか?
杉本:まず、来客の第一印象を左右するレセプション。良い人材を確保するにも要となる空間です。
そこで、オフィスの雰囲気をつくる上で非常に重要な光の演出に気を配りました。間仕切りに半透明ガラスを多用しているのはこのためです。また、このガラスの間仕切りには、プロジェクターからの映像によるメディアを映し、来客を飽きさせない工夫もしています。
執務スペースはどのように造りこんだのでしょう?
杉本:レセプション同様、採光を重視し、明るく開放感ある空間を演出しました。また、せっかくの広いフロアですから、できるだけ全体が見渡せるレイアウトにしたい。執務スペースと、応接室等を含めたレセプションを完全に二分しました。加えて、二分したことにより、個人情報保護の環境構築が容易で、造作費用も抑えることができたといえます。
一堂に会する"空間"から発想するオフィス
フロア全体で見ると会議室のウエートが非常に高いですね。
杉本:本社には、目的・用途に応じ全部で10の会議室があります。これらの会議室は常にフル稼働。利用スケジュールの調整に悩むほど、最大限活用しています。
とりわけ大会議室は、全社員参加によるイベントはもちろん、来客を招いての勉強会、新卒採用セミナー等、多目的な用途に応える一大ホールです。120インチのプロジェクターをはじめ、天井に設置された聴講用のダウンライト、ワイアレスマイクを装備。床下にはどこからでも電源を取れるようタップを配し、AV出力端子を多数配置することにより、メイン/サブモニタが同期を取れるような設計もされています。さらに、部屋中央奥にはステージを、その裏には楽屋を設ける等、ホールの運用を考えたとき、必要と思われるあらゆる要素を盛り込みました。
それほどまで会議室を重視するのはなぜですか?
杉本:会社の方向性を経営側から伝え、全員が同じ温度でこれを共有することはガバナンス上不可欠です。そして、これを最も効果的に浸透させるのが一堂に会する空間だと考えます。しかし、会社規模が大きくなるほど、このような空間を設けるのは難しくなってくる。
大ホールに備えた様々な仕掛けはすべて、一体感を増幅させ、お互いの士気を肌で感じられることを狙ったものです。事業方針について温度差のない理解を深め、経営者と社員同士がお互いを感じあえるコミュニケーション。これらを深めることにより、醸成された企業の文化は揺るぎないものとなる。そしてこの文化は、企業価値を高める上での土台ともなるわけです。
当社が創業以来、可能な限りワンフロア主義を貫いてきたのもこのためです。"一堂に会する空間"という観点から、オフィスというものを捉えている、といえるのかもしれません。