知の創造と深化をもたらした人々の交流を促すオフィス戦略
近年、"経営"のあり方が見直され、ビジネスを取り巻く環境が激変。ビジネスパーソンにとって、スキルアップは欠かせない関心事となっている。これに応えるべく"アフター5のビジネススクール"をコンセプトに、より多くの人に教育機会を提供するグロービス・マネジメント・スクールは、ユニークなカリキュラムと、徹底した受講生満足を図ることにより、高い評価を獲得している。今号の「成長ベンチャーに訊く」では、このグロービス・マネジメント・スクールを運営するグロービス・グループ代表の堀義人氏より、企業経営において重要な要素である"交流"をキーワードに、オフィスについての様々な工夫を伺った。
グロービス・グループ
グロービス経営大学院学長 兼
グロービス・グループ代表 堀 義人 氏
米国ハーバード大学経営大学院修士課程修了(MBA)。帰国後、1992年株式会社グロービスを設立。同社マネジメントスクールの受講生は延べ3万人に上る。また、2006年4月には文部科学省認可の、通学型では国内初となる株式会社立経営大学院「グロービス経営大学院」を開学。スクール事業の他にも経営研究、出版、組織開発、経営人材紹介、ベンチャーキャピタル等の事業を運営している。
貸教室で産声を上げたビジネススクール
まずはどのような教室でスクール事業をはじめられたのでしょう?
堀:92年の設立時、資金は友人たちと持ち寄った80万円のみ。なるべく浮かせようと、事務所にしていた東京・三軒茶屋の自分のアパートからほど近い渋谷区道玄坂に、料金も手ごろな貸教室を借りたのです。ビジネスマン中心に20名ほど受講生が集まったのですが、自宅のパソコンでDMを作り、発送まですべてひとりでこなしたこともあって感動もひとしお。授業の内容にも満足してくれたようでした。
上々の滑り出しでしたね。
堀:当初は授業の終了後、受講生に徹底してヒアリングを重ねる等、サービスの質向上に腐心していました。この甲斐あってか、受講生にも常に高い評価をいただくことができたのです。
運営については他にどのような工夫をされたのですか?
堀:当社マネジメントスクールでの授業は、ケースメソッドと呼ばれる手法が中心です。一つのケース(実際の事例)をもとに講師、受講生が議論を重ね、一緒に考える双方向的な学習スタイル。受講生の議論への参加具合で授業の質も変わってきます。ならば、受講生、講師みんなで交流する機会を増やそうと考えました。授業終了後のヒアリングはもちろん、授業について忌憚ない意見をぶつけ、常に授業の質を高めようとしたのです。また、その運営をサポートするオフィスも、できるだけ教室の近くにあるほうがより交流しやすいと考えました。
キャンパス兼オフィスを番町・麹町に
教室とオフィスを一つ屋根の下に構えようと考えたわけですね。
堀:そこで、まず立地を考えました。当社スクールの主な受講生は忙しいビジネスマン。都心どこからでも通いやすいところがいい。また、御茶ノ水や代々木といった、いわゆる学校のイメージが強いところは避けたい。当社のスクールは、既存の学校とは違う新しいイメージで行きたいと考えていました。また、教室は授業を通して知的交流を深める場。喧騒から離れ、落ち着いた環境が必要なのはもちろんです。
となると、都心では場所が限られてきますね。
堀:東京在住が短く土地勘に乏しかった私ですが、知り合いの不動産屋が紹介してくれた物件の所在地は、千代田区麹町。地図を見ると、近くに地下鉄麹町駅・半蔵門駅、さらに四ツ谷駅と三つの駅があり、JR中央線、地下鉄有楽町線等が縦横に走っていて交通の便が良い。いざ物件を見に出かけると、番町・麹町周辺は緑豊かで、一歩小道を入ると瀟洒な住宅が軒を連ね、都会の喧騒が嘘のようです。これなら忙しいビジネスマンでも通いやすく、学ぶ環境としても申し分ないと考えたのです。
まさに理想的な場所だったというわけですね。
堀:そして、肝心の物件はというと、周囲の街並みにふさわしく、落ち着いたシックな外観でビルの中もまだ新しい。部屋を覗いてみると、柱が少なく教室として使いやすい。詳しく聞いてみると、間もなく1階から4階までが空室になるということでした。
あつらえ向きの器が見つかったわけですね。
堀:当社の提供するサービスは、授業というそれ自体は目に見えないもの。ビルの外見で来訪者がイメージを損ねることは避けたい。また、お客様である受講生のことを考えるなら、出入りしやすい1階に教室があるのが望ましいのはもちろんです。
以降、番町・麹町周辺で約10年にわたり、4度の移転。それほど気に入られたわけですね。
堀:いいことばかりでもありません。番町・麹町は他のビジネスエリアと比べ物件の数が少なく、賃料も高め。ですので、かなり早い段階から事業の成長を見越し、広めにオフィスを確保しました。移転回数を減らし、イニシャルコストを抑えたというわけです。
空室情報や、ビル開発計画には常にアンテナを張っていたわけですね。
堀:しかし、それまでの移転や増床を経て、オフィスと教室のあり方にも問題点があぶり出されていました。3度目の移転を経た2003年、抱えていた問題点は大きく二つありました。一つは教室が複数階に分かれてしまったことにより、受講生同士の交流が鈍ってしまったこと。授業のコースやカリキュラムが多彩になり、教室も複数フロアに分かれ、受講生同士の結びつきが弱まっていたのです。もう一つの問題は、スタッフ間の交流も滞りがちになっていたことです。当時、スクール授業での実績から、他の事業分野が生まれ、分社化し、グループ経営を行っていました。これら企業のオフィスが複数フロアに分断されて交流が減り、企業文化に温度差が出ていたのです。
空気が澱みなく流れるオフィス
もっと交流できるような空間が必要だと。
堀:当時の本社オフィスは教室も含め5フロア700坪弱。当時の企業規模と今後の事業拡大を見込み、1,000坪以上の広さが必要でした。しかし、これだけの規模を集約させられる物件は周辺には見つけられませんでした。
しかし、それでもなお、番町・麹町にこだわった。
堀:ここが気に入ったのはもちろん、長年、受講生、講師陣とともに育んできた「グロービス・マネジメント・スクールなら番町・麹町」というイメージを大事にしたかったのです。
そこで、フロアが分かれても交流を図りやすい構造について考えてみました。複数階に分かれている場合、フロアを結ぶ動線はエレベータもしくは階段のみ。この2つはいずれも貸室外にあります。もし、この動線が貸室の真ん中にあったら、澱みなく空気が流れ、人の交流も促進されるのではないか。つまり貸室内階段を考えたわけです。
貸室内階段を作るとなると、非常に大規模な造作が必要になるのでは?
堀:半端な造作ではビルの構造に不安が残るし、造作費用は莫大。原状回復もより多くのコストがかかってしまいます。そこで考えたのが、建設中のビルだったのです。
当時建設中だった住友不動産麹町ビルが候補となったわけですね。
堀:造作にあたり、既存ビル貸室の場合、オフィス標準仕様に仕上げてあるのを一度解体・撤去しなければならない。しかし、建設中ならこの工事が不要です。このビルなら、ワンフロア約250坪と十分な規模。要望をビルオーナーに話しましたが、縦に首をふってはくれません。しかし、当社の事業特性について説明を重ね、必要性を理解してもらうことでなんとか造作の許可が下りました。大幅にコスト削減ができたのはもちろん、新築工事というスケールメリットを活かし、材料等の調達コストも減らすことができたのです。
人の交流を促す様々なしかけ
具体的にはどのようなオフィスなのでしょう?
堀:まず、天井高4メートルの1階には教室が2部屋。これは可動間仕切りの収納により、180名を収容できる大教室に変身。柔軟な運用が可能です。そして大教室隣りのラウンジ中央に、天井をくり抜いて2階まで伸びる内階段を作りました。2階には、内階段を囲むように6つの教室と3つの勉強会室を配置しています。
スタッフの一体感も深まった。
堀:一時期、工事で内階段が使えなかったのですが、この間わずか数ヵ月足らずでフロア毎に雰囲気が変わり、違う会社かと思ったほどです。以前のビルでフロアが分かれていた時はこれほど違和感を覚えなかったですから、内階段の影響力は絶大と感じましたね。
交流を促す上で他に工夫されたことはありますか?
堀:豊富な蔵書を誇る広々としたライブラリは、知の交流を図る上での出発点。みんなが利用しやすいよう中間の3階に設置しました。4階内階段周辺には"マグネットスペース"と呼んでいる空間があり、ドリンクコーナー、文房具等備え、自然に人が集まるよう工夫しています。
事務室はパーティションが一切なく、非常に開放感があります。
堀:当社では、オフィスに対してのスタッフの向き合い方にも一定の方向性が必要と考えています。97年に事務所環境整備ガイドラインを策定。以降現在に至るまでこれに則り、気持ちよく働ける環境づくりを推し進めてきました。曇りガラスを多用することによる採光の確保、植栽等の緑を効果的に使う等の取り組みをしています。
オフィスとは"コミュニティ"
オフィスについての御社の発想はどこから生まれてくるのでしょう?
堀:私は自らのMBA留学経験を経て、日本にも欧米並みのビジネススクールを作りたいと考えていました。でも、猿真似はしたくない。ならば、規制に縛られない民間の立場でのビジネススクールがいい。そこでふと頭に浮かんだのが、幕末に吉田松陰が作り、後に多くの幕末の志士を輩出した「松下村塾」。この私塾は、何かを"教える"のではなく、"考える"学び舎。一つの問題に対して、塾長の吉田松陰とその塾生が一緒に考えていくスタイルでした。この私塾を手本に、自分たちなりに考えた新しい学校を作りたいと思ったのです。
貸室内階段はこれを後押しするしくみだったというわけですね。
堀:貸室内階段造作という試みは一つの例に過ぎません。オフィスや事業が変われば、また違う試みが必要になってくるでしょう。しかし、変わらないのは、交流を生む起点であり続けたい、ということ。当社では、研究会や課外クラブ活動等、授業以外でも交流を持てる様々な機会を創出しています。つまり、当社にとってオフィスとは、コミュニティ。集うすべての人々が交流することによって醸成される、一つの新しい空間と言えるのかもしれません。
"コミュニティ"から発想するオフィス、というわけですね。