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Vol.16 株式会社アイレップ

2年ごとに広さ2倍に増床、オフィス変遷は企業成長のバロメーター

インターネットで探し物をする際に重宝する検索エンジン。検索結果画面では、上位に表示されたものを自然とクリックしてしまう。しかし、この順位は必然的に定められたものであり、ユーザの消費・購買意欲にも大きく影響する。このようなWeb上のマーケティングを支援する検索エンジンマーケティング (SEM)業界をリードしているのが株式会社アイレップ。オフィス面積が2年で2倍というジンクスのもと、これを成長の牽引剤としてきた同社だが、その背 景にはどのような事業変遷と業界動向があったのだろうか。今回の「成長ベンチャーに訊く」では、同社代表取締役社長の高山雅行氏から、創業以来のオフィス変遷と成長戦略について伺った。

株式会社アイレップ
代表取締役社長 高山 雅行

リクルート人材開発センター(現リクルートエージェント)を経て1997年に同社を創業。検索連動型のリスティング広告をはじめ、検索エンジン最適化(SEO)やWeb解析といった検索エンジンマーケティング(SEM)事業を総合的に展開。さらに、老人ホームと入居希望者とのベストマッチを図るシニアマーケティング事業も行う。2003年にオーバーチュア推奨認定代理店に認定、2006年にはヘラクレス上場を果たしている。

"タダ"同然で借りた創業時のオフィス

1997年に起業されていますが、最初の拠点となるオフィスはどのように探されたのですか。

高山当初は自分一人で資金も少なく、マンション1室借りる余裕さえありませんでした。そこで、リクルート社が発行している独立・起業情報誌『アントレ』にオフィス募集の広告を出したんです。「オフィスを間借りさせてくれる人を募集!できればタダで」という非常に虫のいい条件で(笑)。ダメもとだと思っていたところ、ある会社社長をされている方が、東京・西新宿にある自分のオフィスの1室を貸してもいいと打診があったんです。共益費や管理費は払わなければならず、まったくのタダとはいきませんでしたが、言ってみるものだと思いましたね。

どのようなオフィスだったのでしょう。

高山机やイスに電話があるだけの10坪強のスペースでした。先客で2社が使用していましたが、自分と同様、社長一人だけの会社。3名でそれぞれ3、4坪をシェアして使わせてもらえることになりました。まずはここで一人じっくりビジネスを模索していこうと考えたんです。

2年後の99年に、同じ新宿区の舟町へ移転されていますね。

高山当初は、インターネットを活用した販売促進などのWebのコンサルティング事業をしていて、これがある程度軌道に乗ってきました。人を雇う必要が出てきたので、オフィスを探していた友人に相乗りし、四谷三丁目駅近くのオフィスを一緒に借りました。20坪を半分ずつシェアし、10坪ほどの広さでした。

そしてちょうどこの頃、検索キーワードに連動したバナー広告に出合いました。インターネットユーザの検索キーワードに連動したバナー広告は、広告主にとって非常に費用対効果の高い商品。自分のやるべきビジネスは「これだ」と思いましたね。

移転のきっかけとなったビジネスの転機

1年半後の2000年、港区・赤坂に移転されたのは。

高山このバナー広告を扱う広告代理店として本格的にやっていくには、まず人材の確保が先決だと考えました。港区は当時、多くの新興IT企業がオフィスを構えていた人気のエリア。リクルーティングで不利になってはいけないと、地下鉄4路線が乗り入れる、アクセス至便な溜池山王駅近くのオフィスを選びました。ここが初めて自社単独で借りたオフィスでしたね。広さは新宿・舟町の約2倍の20坪弱、15名まで人員を増やすことができました。

事業の進展はいかがでしたか。

高山早い時期に専業特化してきた甲斐あって、シェアを獲得し、着実に売上を伸ばすことができました。しかし、2002年くらいから、ネット広告のトレンドは、キーワード連動のバナー広告から、よりユーザのクリック率の高い検索連動型広告に変わりつつありました。当時、売上の8割を占めていたバナー広告でしたが、クライアントのメリットを考え、検索連動型広告に乗り換えることを決断したのです。

市場の変化に合わせドラスティックに事業転換したわけですね。

(株)アイレップが入居する「青山東急ビル」

高山そして、同じ2002年、オフィスも南青山へ増床移転しました。面積は2倍の40坪。最終的に25名ほどの規模になりましたが、このオフィスでスムーズに人材を獲得できたことは、会社の成長を支える原動力となりました。

この波に乗って、2003年には新宿へ増床移転。面積はやはり倍のワンフロア80坪でした。できれば青山周辺が良かったのですが、ワンフロアでこれだけの規模となると、物件も限られ、コスト面で折り合いがつきませんでした。会社の方向性を共有し、社員の一体感を維持できる大部屋という環境は必要不可欠だったんです。でも、JR新宿駅南口から徒歩5分に立地していたそのオフィスは、リクルーティングでも大きな効果があり、最終的に85名ほどまで人員を拡大することができました。

2年ごとに広さ2倍"というジンクス

ここまでのオフィス移転を振り返ると、新宿・舟町で10坪、赤坂で20坪、南青山では40坪、そして、新宿駅南口のオフィスでは80坪。およそ2年で広さ2倍のペースを保っていますが、何か根拠があったのでしょうか。

高山いえ、最初は意識していませんでした。当社は創業からずっと、確実に見込めるだけの人員計画に合わせ、オフィス移転し、かつランニングコストもできるだけ切り詰めてきました。結果、オフィスは2年で2倍、人員も1.5倍から2倍に増えていることに気が付いたんです。

この数字を意識し始めたのはいつ頃からでしたか。

高山ちょうど南青山のオフィスへ移転した2002年くらいのことでした。それからは、逆に自分たちのジンクスとして、この数字を目標に成長戦略を練ってきたほどです。

しかし移転コストは大きな出費。広めのオフィスを借り、移転回数を減らそうと考えなかった。

高山確かに引越しに伴うイニシャルコストは負担でした。ただ、インターネットを取り巻く事業環境は、技術革新のスピードが非常に速く、変化も激しい。これに柔軟に対応していくためには、常に会社の体力を温存しておく必要があるのです。2002年の事業転換に際しては、オフィスのランニングコストを最小限にとどめていたことが、一気に舵を切る後押しとなりました。あの時の決断は、当社の今の成長につながっていると考えています。

青山東急ビルへの移転では、ビル外観とランドマーク性も重視

そのジンクス通り、2005年、現本社の青山東急ビルに移転されていますが、当時の経緯は。

本社エントランス(青山東急ビル3階)

高山まず、オフィス移転にあたって重視したのは、ワンフロア面積です。新宿では最終的に85名まで拡大していましたが、2年先を見越して、大体100名規模を収容できるスペースが必要でした。

加えて、立地の分かりやすさとビルの外観も重視しました。当社では、事業のもう一つの柱として、マーケティングのノウハウを活かした、有料老人ホーム紹介事業を立ち上げていました。これまで当社は、Webベースで企業のマーケティング支援を行ってきたため、それほど来客は多くありませんでした。老人ホーム紹介事業は、実際に紹介希望者に訪問していただき、相談を受けるサービス。集客力を高め、来客を意識したオフィスが必要だったわけです。

さらに、社員から青山周辺が良いという要望が非常に多かった。立地は社員のモチベーション向上と採用力にも大きく影響しますから、外せない条件でした。

結果、これらの条件を満たしていたのが青山東急ビル。表参道駅と渋谷駅の2駅から徒歩圏内と交通アクセスに優れているだけでなく、246号線に面し、青山学院大学というランドマークのとなりで場所も分かりやすい。青山の街に映える洗練された外観に、ワンフロア150坪の規模を備えた稀少なビルでした。

移転時は7階のワンフロアを借りられていましたが、オフィスづくりにあたって留意されたことは。

仕切りがなく見晴らしの良いオフィスは、コミュニケーションを活性化する(青山東急ビル7階オフィス)

高山まず執務スペースについては、間仕切りは設けず、一望に見渡すことのできるフラットな環境を重視しました。企業のマーケティング支援において、最適なサービスを提供するためには、当社の営業部門とコンサルティング部門が両輪として有機的に結びついていくことが必要不可欠。コミュニケーションを促進するフラットなオフィスは、当社の競争力の源泉なんです。

会議室や共用スペースづくりで配慮されたことは。

主に研修会・勉強会に利用されるスクール形式の会議室

高山これまでオフィスに余裕がなく難しかったのですが、青山東急ビルでは会議室や応接スペースを豊富に確保することができました。少人数の打ち合わせ室、勉強会・研修会を行うことのできるスクール形式の会議室など、目的・用途に合わせた数種類の会議室を設けています。

また、はじめて本格的にリフレッシュルームを作りこみました。室内にはリラクゼーションチェア、自販機、コミックや書籍を設置し、仕事の合間にコミュニケーションを図ったり、くつろげるよう配慮しています。

社内の反応はいかがでしたか。

リラクゼーションチェアにソファ、書籍やコミックなど取り揃えたリフレッシュルーム

高山会議室が増えたことで打ち合わせが増え、また、リフレッシュルームを充実させたことにより、仕事以外でのコミュニケーションも活発になりました。今まで以上にプロジェクト生成が促され、会社に活気がみなぎってきたと感じています。

加えて、会議室を利用しての勉強会・研修会が格段に増えました。中でも、教育制度の一環として開催している「アイレップ・ビジネス・カレッジ」は、マネージャークラスが講師となり、自身が担当するプロダクトについて若手社員に語るというもの。社員が双方向的に議論を交わすこうした講座は、当社のサービス品質向上に大いに貢献しています。

事業部門の分社化とオフィス戦略の次のステージ

2006年、同じ青山東急ビルの他階で増床されたのは。

高山ただでさえ物件の少ない青山近隣。より広いワンフロアを確保するとなると、コスト高になるのは必至でした。そこで、青山東急ビルへ移転後、分室も視野に入れ、会社の組織化を進めていました。

そんな中、同じビルの3階が空くことがわかり、早々に確保。人事・経理といった管理系部門を移転し、7階はこれまでどおり、営業・コンサルティング部門を配置しました。

他のエリアでワンフロアのオフィスを探すという選択肢はなかったのしょうか。

高山それは考えませんでした。当時、社内で住宅手当制度を始めていたからです。3キロ圏内で3万円支給するというもので、該当者も増えていました。社員みんなも気に入っている場所ですから、当分本社移転は考えず、社員への還元策を優先したというわけです。

老人ホーム紹介事業については、分社化と同時にオフィス分室されていますが、なぜですか。

高山老人ホーム紹介事業を行っていたシニアマーケティング部門については、本業であるインターネットマーケティングとの分化が進んでいました。そこで、広報、採用戦略を独自に実施し、別ブランドとして展開したほうがいいと考えました。2007年、分社化と同時に、本社至近の246号線沿いにある別のオフィスを借りたのですが、分室にすることによって、他社と協業が進み、独自の企業文化が形成しやすくなると考えたんです。

そして現在、オフィス面積の合計は、3階の増床分と分室とを合わせ、ちょうど300坪ほどになっています。これまでとプロセスは異なりますが、2年ごとに2倍というジンクスは守られています。ただ、今後は事業内容や組織のあり方を常に見直しながら事業計画と人員計画を立て、オフィス移転をさらに戦略的に行っていきたいと考えています。

企業の成長に伴い、オフィス移転の選択肢も多様化していくわけですね。本日はありがとうございました。

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上記内容は オフィスジャパン誌 2008年夏季号 掲載記事 です。本ページへの転載時に一部加筆修正している場合がございます。

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