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賃貸オフィス・事務所の記事

Vol.17 株式会社ベネフィット・ワン

採用力こそが競争力の源泉 ワーカーの視点を捉えたビジネス空間構築

従業員の生活支援策として、多くの企業で取り入れられている「福利厚生」。バブル崩壊後、企業のコスト削減ニーズからアウトソーシングが進んだが、現在で は企業イメージ具現化のため福利厚生を戦略的に活用し始める企業が増えていると聞く。このような福利厚生アウトソーシングサービスにおいて、業界をリード しているのが株式会社ベネフィット・ワン。豊富なバリエーションと費用対効果の高いサービスを開発・提供し、利用者から高い評価を得ている。今号の「成長 ベンチャーに訊く」では、同社代表取締役社長の白石徳生氏から、創業以来のオフィス変遷とともに、サービス提供の要となるコールセンター開設の経緯と、そ のこだわりについてお話をうかがった。

株式会社ベネフィット・ワン
代表取締役社長 白石 徳生

1996年、「サラリーマン生協」を創るという理念のもと、人材派遣のパソナグループ社内ベンチャー第1号として(株)ビジネス・コープ(現ベネフィット・ワン)を設立。2000年、代表取締役社長に就任した。2006年には東証二部に上場。大企業中心の福利厚生アウトソーシングサービスで、会員数を約345万人まで拡大した。最近では、中小企業向けサービスや、個人マーケットへも進出するなど、さらなる躍進を狙う。

親会社から間借りした創業時のオフィス

まずはビジネスの着想からお聞かせください。

白石当社のビジネスはひとことで言えば、福利厚生のアウトソーシングです。そしてその着想には、大きく分けて2点あります。まず、福利厚生はスケールメリットが効きますから、企業が自前でやるより、外部の業者がさまざまな企業から束ねて受託するほうがコストメリットに優れているという点が1つ。そして、ホテル・学校・病院等から最適なサービスを企業の代わりに探し、福利厚生として従業員に提供することは、サービスの提供側から見れば、一種の販売チャネルになる。インターネット等を活用して、それらのサービスマッチングを図れないかということがもう1つの着眼点でした。

ただ、実際にはサービス開始の段階で、インターネットは実用的でないと、ガイドブックを見てコールセンターに申し込んで頂くという現在の業態に切り替えましたけれども。

1996年、パソナの社内ベンチャー制度の第1号としてスタートされていますが、独自で起業しようとは考えなかったのですか。

白石事業を立ち上げるには多額の資金が要るということもありますが、それ以上にこの事業で重要なのは信用だと思うんです。独立を考えなかったわけではないですが、私個人で始めても信用の面でなかなかハードルが高いかなと。パソナの社内ベンチャーでありながら、日本を代表する商社である三菱商事とのジョイントでスタートしているのも、信用力を得るためだったんです。

創業時のオフィスは、東京・渋谷区初台でした。

白石もともと当時のパソナグループが、グループ内の若い会社を集めていた京王新線初台駅近くのビルがあったので、そこのオフィスを間借りしました。ただ、オフィスといっても机10個ほどでワンフロアに3社が入っているという状態でした。ちなみにこのビル、当時入居していたグループ4社のうち、当社を含めて3社が上場を果たしたラッキービルだったんですよ。

立地が良くて大きいビルでないと人は集まらない

その後、2001年にかけて、ほぼ毎年オフィスを移転されていますね。

白石人を雇う必要があったので、初台のオフィスは1年ほどで出ることになったのですが、次に移転したのもパソナ新宿支店の間借り。西新宿の高層ビルでした。翌98年に移転した広尾のオフィスも当時のパソナ広尾本社の間借りです。コスト面で非常に優遇されたのはもちろんですが、それだけではありません。人材派遣を主事業とする親会社のパソナも、福利厚生のアウトソーシングを展開する当社も、主要顧客は企業の人事部といった管理系部門。同じオフィスにいて、さまざまな情報交換ができたことは、事業成長の大きな後押しになりました。

間借りによって、両社のシナジー効果も生まれたわけですね。

白石ただ、いつまでも間借りしているわけにいかず、また、従業員も50名ほどまで増えていたので、2000年に初めて独立オフィスを構えました。そこは、JR東中野駅から徒歩10分以上かかる不便な場所にある、お世辞にもきれいとはいえないビル。単に安さに惹かれて借りたのですが、まったく人が集まらなかったんです。当時、顧客である会員企業数は順調に増えていたので、コールセンター要員の確保は最大の課題でした。コールセンターはいわば対顧客の最前線ですから、質を落とすことは絶対に避けたい。これではどうしようもないと、1年足らずでそこを出ることになりました。

翌2001年、高田馬場へ移転されていますが、オフィスはどのように探されたのでしょう。

白石たまたま知人から紹介を受けて見に行ったオフィスが、思いのほか良かったんです。JR高田馬場駅至近で、見た目も立派なビル。当時の従業員は150名超まで増えていましたが、ワンフロア200坪弱と広さもちょうどいい。賃料もリーズナブルでしたので即決しました。結果的に3年ほど居ることになったのですが、採用でも目に見えて人が集まるようになりましたね。

渋谷南東急ビルへの本社移転では女性ワーカーの視点を重視

2005年、現本社の渋谷南東急ビルへの移転のきっかけは。

(株)ベネフィット・ワン本社が入居する渋谷南東急ビル

白石高田馬場のオフィスでは、その後2フロアに増床し、それでも収まりきらず、近くの別棟にオフィスを借りていました。従業員も300名くらいまで増えていたと思います。このため、コミュニケーションという点でいえば極めて非効率な状況にありました。そこで、より採用力を高め、かつワンフロアの広いビルへ移転しようと、移転の1年ほど前から物件を探し始めました。場所はターミナル駅近くが良かったので、JR渋谷駅・新宿駅周辺エリアに絞りました。結果、候補として残ったビルは、立地や規模、賃料といった条件がいずれも拮抗していたんです。かなり迷ったのですが、一番見た目が良くて、候補の中で唯一新築だった渋谷南東急ビルを選びました。

ビルの外観と、新築であることが決め手になったと。

白石当時、会員数はうなぎのぼりに増え、コールセンターのオペレーター確保が急務でしたが、そのほとんどは女性です。事業内容や待遇と同等か、場合によってはそれ以上に、女性ワーカーはオフィスの見た目や雰囲気を重視します。立地も重要ですが、新築のビルか、そうじゃないかというのは侮れないんですよ。 結果として、10~11階の2フロア約650坪を確保できました。理想はワンフロアですが、続き階でしたので、ほぼ満足しています。

10階がコールセンター、11階を執務スペースとされていますが、オフィスづくりで留意されたことは。

ガラス張りで、パーティションのない開放的なオフィス(渋谷南東急ビル11階)

白石両フロアに共通して言えることは、密室を作らないということです。これは創業以来ずっとそうで、個室があっても全部ガラス張りにしていますし、パーティションも極力つくらないようにしています。やはり、見晴らしがいい方がコミュニケーションも断然活発になりますから。

マッサージ師が常勤するリラクゼーションルーム

その他に特徴的なところは、休憩室といったリフレッシュスペースを豊富に確保していることでしょうか。オフィス面積300坪超に対し、一番広い休憩室で46坪と、かなりのスペースを割いています。従業員が増えてもこの比率は崩したくないですね。加えて、10階にはマッサージ師が常勤しているリラクゼーションルームがあるのですが、ここは女性社員に大変好評なんですよ。

移転の効果のほどはいかがでしたか。

広いスペースが確保された11階休憩室

白石採用面では、やはり渋谷に移ってから応募者が目に見えて増えました。社内については、女性社員の評判が特にいいです。大部屋になって仲間意識が醸成されたのか、雰囲気も以前よりさらに良くなったと感じますね。実際、10階のコールセンターでは、ワンフロアに集約したことで、業務の効率化だけでなく、今まで以上にノウハウの蓄積が図られているようで、当社のサービスの質にも大きく影響しています。

地方のコールセンター開設では、自治体の助成制度、地元民度に着目

2007年3月、大規模なコールセンターを開設されていますが、なぜ四国・松山市に。

白石松山市を選んだ理由は、自治体の雇用助成金や設備投資の補助金等の条件が良かったことが1つ。もう1つは、都心で年々難しくなっている人材の確保を、地方で行うためです。松山市は、四国で最も人口の多い都市であり、民度も高い。多くの優秀な人材を獲得できると考えました。

コールセンターは、県から用意された松山空港前の産業集積施設に入居しています。ただ、中心市街地である松山市駅から車で30~40分と遠く、コールセンターの立地としてはベストとはいえません。そこで現在、松山市の中心地であるJT松山工場跡の再開発用地に、新コールセンターを自社ビルとして建設しています。

あえて自社ビルとして建設することにしたのはなぜですか。

2009年1月に竣工予定の松山コールセンター(完成予想外観パース)

白石当初、コールセンターは800名ほどを収容できる規模を考えていました。しかし、そのクラスのビルとなると、首都圏では賃貸でも非常に高くつき、地方では確保すること自体が至難の業です。

また、電話応対するオペレーターは、当社のサービスの質を左右する重要なライフライン。採用力はもちろん、ワーカーのコンディションを高めるため、徹底的に働きやすい環境を独自で作りたかったんです。

独自仕様のコールセンターとはどのような施設なのでしょう。

白石施設の設計にあたって重視したのは、やはり女性の視点です。特徴的なのは、3階建のビルの上に全面ガラス張りの広い食堂・休憩室を設けていることです。そして、内装については色を多用し、丸みを帯びたデザインを多く取り入れ、さらに木目調のフローリングにするなど、温かみを感じさせるようにしました。こういった設備や仕様は、通常の賃貸オフィスビルではまず無理ですから。延床面積は1,000坪強、来年1月の竣工を予定しています。

コールセンターについては、今後も地方での開設を考えているのでしょうか。

白石松山のコールセンターについては、おそらく2~3年もすれば一杯になると見込んでいます。今後、新たにコールセンターを開設するとすれば、松山と同様、自治体の助成制度が充実していて、人材を確保しやすいエリアを候補地として考えています。例えば、宮崎や長崎といったところでしょうか。

社内ベンチャー制度を独自に創設 創業精神を風化させない環境づくり

近年、御社では社内ベンチャー制度を設けられたようですが、こちらはどのような経緯で。

白石始めたのは3年ほど前からです。現在、大規模なコールセンター開設をはじめ、企業として規模の拡大を図っていかなければならない時期に差し掛かっています。しかし、それに伴い、果敢な創業期の社風が弱まってくるのではと懸念してのことでした。会社化されたのは今のところ1社ですが、事業部が3つ、計4つのプロジェクトがコンテストから誕生し稼働しています。

社内ベンチャーにはオフィスを実費で間借りさせていらっしゃるようですが。

白石かつて私がそうであったように、社内ベンチャーにオフィスを貸しているのは、コスト的な理由と当社とのシナジーが図れる点です。

それに、企業風土というか、創業時の気風や志を維持していくためだけでなく、こうした制度がある方がおもしろい人材が集まってきやすいんです。つまるところ、当社の業種は、人でしか他社に差をつけられない。規模が大きくなっても、会社・組織としてのダイナミズムを維持していくための制度は、これからも積極的に実施していきたいですね。

創業精神を維持しつつ、規模の拡大を図るために必要な環境づくりというわけですね。本日はありがとうございました。

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上記内容は オフィスジャパン誌 2008年秋季号 掲載記事 です。本ページへの転載時に一部加筆修正している場合がございます。

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