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Vol.12 株式会社USEN

ケーススタディ

2007年9月6日

グループシナジーを最大化する、組織・事業を越えた融合オフィスの創造

昨今の企業の合併・買収の増加により、以前とは比較にならないほど協業・連係が活発化するビジネスシーン。これに伴い、ワークスタイルにも変化が見られ始め、オフィス構築にも新しい試みが投じられている。今回ご紹介する株式会社USENグループは、有線放送事業を皮切りに、光ファイバー通信事業へ進出、現在ではメディアコンテンツ事業へも注力するなど、積極的なM&Aにより多角的な事業戦略を推進している。そこで、同社代表取締役社長宇野康秀氏か ら、現在のグループ体制に至るまでのオフィス戦略の変遷と、先般「東京ミッドタウン」への移転を果たした本社オフィスにおける、会社間の効果的な協業・連係を図るための、ビジネス空間構築について伺った。

株式会社USEN
代表取締役社長 宇野 康秀

1989年、学生時代からの友人4名とともに、人材サービスを主事業とする株式会社インテリジェンスを創業。その後の1998年、亡父の後を継ぎ株式会社大阪有線放送社の社長となる。以降、有線放送用ケーブル網をベースとして光ファイバー通信事業へ進出。2005年に現社名である「USEN」へと名を変え、映像・コンテンツ事業をはじめ、関連分野への多角化をはかる。現在、グループ約20社を統括・推進している。

父の後を受け継ぎ、会社を変革

まずは、大阪有線放送社(以下、大阪有線)の社長交代の経緯についてお聞かせください。

宇野私が大阪有線を継いだのは1998年、創業社長だった父が病に倒れたのがきっかけでした。しかし、当時私は仲間4人で立ち上げた人材サービス会社、インテリジェンスの社長で、しかも上場を目前に控えた大事な時期。今、社長を退くわけにはいかないと、当面は両社の社長を兼務することにしたのです。

その後、インテリジェンス代表を退かれたのはなぜですか。

宇野両社の筆頭株主だった私が社長を兼務するとなると、会計上の問題から、インテリジェンスの上場が大幅に遅れてしまうことが分かったためです。そのため、代表を現社長の鎌田氏に交代。社長として上場の瞬間を味わうことはできませんでしたが、逆に、大阪有線に専念する踏ん切りがついたという感じでしたね。

大阪有線での事業イメージは当初からお持ちだったのですか。

宇野大阪有線は業界でも最大手、保有する放送用ケーブル網も大手電気通信会社に匹敵する規模です。当時、ネット環境については後進と言われていた日本で、このケーブル網をベースに、光ファイバーを使った格安の高速インターネット接続サービスをできないかと考えたのです。

ところが、大阪有線は長年にわたり、役所への届出などが不十分なまま全国の電柱にケーブルを張りめぐらせており、問題を抱えていました。これでは、通信ビジネスどころか、何をやるにも許可が下りない。とにかく違法状態からの脱却への対処が先決と考え、99年内を目標に、正常化を社内外に宣言。750万本の電柱にあったケーブルを1本ずつ調べ始め、許可を取得していったのです。

たった1年では非常に困難な作業と推察しますが、社内の反応は。

宇野膨大な作業が必要になるため、従業員の中には達成できるか半信半疑の者もいたはずです。皆に正常化の重要性を分かってもらうにも、信頼関係をゼロから作っていかねばならない。できるだけ多くの従業員に接し、同じ目線に立とうと、全国の営業所回りを始めました。

しかし、そこで分かったのは、当時の大阪有線は恐ろしくアナログな会社であったということ。営業所にはパソコンもなく、手書きで伝票を打っていたほどでした。私自身もLANケーブルの敷設やタイピングの指導やらで社中を駆け回りつつ、従業員との信頼関係を深めていったのです。

仕事のやり方そのものから変えていく必要があったわけですね。

宇野業務のIT化を進める一方で、全国各地の支店で働く従業員にもきちんと情報が行き届くようなオフィス環境も必要と考えました。当時の営業所は全部で約700ヵ所。分散していた全国の営業所を、ワンフロアが広く、駅前等の動線の太い、きれいなオフィスへと統合していったのです。事務所当たりの人員が増えたことで仲間意識が生まれ、情報共有が進んだだけでなく、オフィススペース効率化で、賃料コスト削減にもつながりました。その後数年を経て、最終的には300ヵ所まで統合を進めたのです。

それから約1年後の2000年3月、業務の抜本的な改善と営業所統合の後押しもあって、なんとか正常化を実現できました。

営業所統合にはどのような効果があったのでしょう。

宇野日頃馴れ親しんだ自分のオフィスが変わることは、考える以上に心情面で影響を受けるものです。かつてインテリジェンス創業当初、移転を繰り返すたび、より良いオフィスに移っていったことは、会社の成長を大きく実感できた瞬間でした。

その経験から、全国規模で、しかも次々と拠点統合が進めば、会社が変わっていくんだという意識が、大きなうねりとなって浸透していくのではないかと考えたのです。困難は伴うものの、逆に1年という短い期間を設定したことで、統合の効果が正常化への原動力になったといえるのではないでしょうか。

社名変更と同時に本社を移転し、企業イメージを払拭

2000年4月には、社名変更と同時に本社移転をされていますが、その意図は。

宇野全国展開で新しいサービスを展開し、正常化を終えたということを社外に周知するのに、社名変更は最も分かりやすいアクションです。当初から考えていた、光ファイバー通信事業に力を入れていくことを表明する意味で、社名を「有線ブロードネットワークス」へ変更、本社も大阪の自社ビルから、東京・永田町2丁目にある山王パークタワーへと移転しました。

なぜ、永田町に。

宇野通信インフラをベースに新しい事業をするうえでは、役所は近いほうが便利でした。永田町は官公庁の中心地ですが、以前の大阪有線とは逆に、役所機能と密接に関わっていこうと考えたわけです。また、本社が永田町なら、会社としての公正性もアピールできる。加えて、永田町2丁目は、芸能関係の事務所が多く立地する赤坂に隣接しています。有線放送事業で、以前から芸能業界と関わりが深かった当社にとっては営業的なメリットもありました。

M&Aに伴うオフィス構築では、ワーカーの心情面を重視

その後、光ファイバー通信事業へと参入。進展はいかがでしたか。

宇野光ファイバー通信事業は、サービスエリアを拡大し、順調に契約者数を増やしていったものの、その後ADSL等の類似サービスの影響で伸び悩んだ時期がありました。ただ、このことで国内のブロードバンド環境は爆発的に拡大。ならば、今度はインフラを経由して配信される中身(コンテンツ)の事業へ力を入れていこうと考えたのです。

以降、事業提携・統合が活発化。M&Aも積極展開されていますね。

宇野2004年に入り、カラオケ事業会社や映画配給会社を傘下としてグループ化するなど、M&Aを積極的に進めました。そして、翌05年には、コンテンツのプラットホームとなる、ネット上のテレビ放送「GyaO」を開始。有線放送、光ファイバー事業に加え、新たにコンテンツ事業を3本目の柱として据えたのです。現在の社名「USEN」は、この時に変更したものです。

M&Aに伴う組織再編の際、オフィス構築で意識されたことは。

4人分を1ユニットとし、業務・機能に合わせた用途転換が容易なユニバー札プランを採用した執務室。

宇野グループ会社のオフィスを優先して本社へ統合したことでしょうか。M&Aによってグループになっても、元は全く違う文化・歴史を持っている会社ですから、オフィスが別だと、当然"お邪魔する"ような感覚になる。でも、本社で働くとなれば、この感覚が薄れ、互いの距離が縮まるのではと考えたわけです。

ワーカーの心情を汲み取ることが重要というわけですね。

宇野ええ。かつての大阪有線の営業所統合と同様、事業会社同士の合併でも、従業員の心情に配慮したオフィス集約をすることが、統合効果を高める要素の一つと考えています。

グループ集約による本社移転と、シナジー効果を生むビジネス空間構築

2007年3月、東京ミッドタウンへの本社移転のきっかけは。

東京ミッドタウン

宇野関連分野への事業多角化とM&Aが活発化したことにより、一度統合はしたものの、都心部の拠点は10ヵ所以上にまで拡大していました。グループ会社同士が共同でビジネスを行うことも増えていたのですが、プロジェクトは人が起点になって動いていくもの。会社ごとにオフィスが分かれているのは、移動やコミュニケーションの上でも、非常に不都合でした。05年夏の時点で、グループを含めた人員規模は1万人弱でしたが、このうち、2,000名ほどを一挙に集約できるオフィスへ本社移転しようと考えたのです。

移転先として理想だったのは、一棟借りができる注文建築物件でした。というのも、グループの一体感を育むオフィスにすべく、自由に造作を施したかったことと、独自のコンテンツ制作を視野に、スタジオや試写室も本社に設置したいと考えたからです。しかし、自社仕様による一棟借り物件の竣工を待つ余裕もなく、かといって、既存物件ではスペースを確保するのも難儀なうえ、造作コストも高くついてしまいます。

そんな中、旧防衛庁跡地一帯で進められていた開発が「東京ミッドタウン」でした。都心でも最大規模となるワンフロア1,000坪で、場所もビジネス上の地の利がある赤坂。自社仕様とまではいきませんが、かなり自由度の高い造作が可能でした。そして、竣工は、間近に迫った2007年初頭。この竣工時期が決め手となり、ミッドタウン・タワーへの移転が決定したのです。

御社が借りられたのは33~38階の6フロアですが、どのようなオフィスを構築されたのですか。

33階 総合受付

宇野まず、33階には受付・接客ロビーとスタジオ、会議室を配し、ビル1階エントランスからこの階まで、専用のシャトルエレベータで直接上ってくることが可能です。近時の大型ビルでは、通常、セキュリティチェックが幾重にも施されていますが、物理的な隔たりを少なくすることで、動線をスムーズにしただけでなく、"入りやすい"という心理的な効果を狙いました。

あえて社内にスタジオを設けられたようですが。

33階に設けられた「GyaO」スタジオ

宇野「GyaO」はここ数年制作した数々のコンテンツのプラットホーム。番組のバリエーションも飛躍的に増え、スタジオでの業務や携わる人員も、グループを越えて格段に増えています。このため、グループの連係が滞るような別棟ではなく、本社内に設ける必要があったのです。

34階にある試写室「スカイシアター」

もう一つは、34階にある試写室と同様に本社内施設とし、今後事業に本腰を入れていくことを社内外に周知することを狙ってのことでした。

執務スペースはどのような構造になっているのでしょう。

宇野「執務スペースは、35階から38階の続き階。グループ約20社の従業員が機能・業務ごとに、会社をまたがって机を並べています。例えば、人事などの管理部門では、各社の担当者を1ヵ所に集め、一緒に働くスタイルを採用しています。これにより、仕事の一部を共有でき、業務手順そのものを大幅に削減できたのです。そして、オフィスのモジュールについても、執務・収納セットは全て同じものを使用し、急場の組織変更にも柔軟に対応できるようにしています。グループの垣根を越え、個々の従業員が有機的に結びつくことで、新しい価値を生むことができる環境を考えた結果、導かれたスタイルといえるでしょう。

統合移転の効果は徐々に現れはじめているのでしょうか。

宇野会議でも集まりやすく、かつ業務上の効率アップ、コミュニケーション向上も図られたのではないでしょうか。従業員の意識についても、別会社という認識から、USENグループとしての一体感の意識醸成が進んでいると感じています。今後、この新本社における試みをできるだけ全国の支店・営業所へも波及させるべく、統合が進行中です。全社を挙げてグループ間のシナジーを高め、新しい価値を創出していきたいと考えています。

これからの新しい事業スタイルを表象するオフィスといえそうです。本日はありがとうございました。

上記の記事の内容は オフィスジャパン誌 2007年秋季号 掲載記事 掲載当時のものです。

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