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Vol.10 株式会社By-Qホールディングス

バイク便ビジネスから導かれた時代が求める"瞬間物流取引所"

渋滞をものともしない高い機動力で、1分1秒を争う荷を届ける「バイク便」。かつては新聞社やテレビ局のいわゆる張り付きバイク便だったが、一般ユーザの 緊急配送ニーズを汲むべく生まれたのが現在の姿である。その中でも、業界初の数々の試みで、常に顧客の立場で"困った"に応えてきたのが、By-Qグルー プ。現在では業界のリーディングカンパニーとして高いブランド力を誇る同社だが、バイク便ビジネスの要であるライダーをいかに管理し、緊急配送需要に応え てきたのだろうか。その答えの一つとなるであろう営業拠点戦略につき、同社代表取締役会長 兼 社長・大槻かつみ氏より、興味深いお話をうかがった。

株式会社By-Qホールディングス
代表取締役会長 兼 社長 大槻 かつみ

1985年に「バイク急便」として創業。多様な緊急配送需要に応える中で拡大した各事業部を、それぞれ子会社として、現在ではグループ制へと移行。「バイク急便」をはじめ、軽4輪車による「Qカーゴ」、自転車による「サイクル急便」といった"瞬間物流事業"の他、運転代行サービスを展開する「Q-代行」、屋外広告再生事業を行う「あどQ」と、五つの企業による時代に即したサービスを展開。グループ連結の売上高は38億円(2006年見込)。

"使い走り"でひらめいたビジネス

まず、バイク便の発想はどこから生まれたのでしょう。

バイク便ライダー

大槻1979年当時、東京都内の家具メーカーに勤めていた私は、いつもバイク通勤でした。単純に好きだったので、雨が降ろうと寒かろうと、バイク通勤。これがもとで、上司から急な荷物の配達を頼まれるようになりました。そんな中で「バイクメッセンジャーのようなサービスは早くて便利だ。この会社でもこんなにニーズがあるなら、商売になるのでは」と思いついたのです。

"お使い"をする中でビジネスを思いついたというわけですね。

大槻当時、急を要する荷物は、社員自ら直接タクシーで届けたりするのが一般的でした。しかし一方で、アウトソーシングの考え方が広まり始めていた時期でもあります。バイクによる緊急配達で、会社のコスト削減や、業務効率アップに貢献できるのではと考えたのです。

バイク便に代わるサービスは他になかったのでしょうか。

大槻類似のサービスでいえば、大手宅配業者の翌日配達がありましたが、これでは急な荷には対応できず、トラックでは小回りもききません。それに、急を要する配送ニーズは極めて多様で、できるか否かを依頼を受ける段階で判断しなければならない。従来までの受注方式では対応が難しかったといえるでしょう。

営業所の開設は 人材獲得が目的

起業にあたり、まずはどこを拠点にされたのでしょう。

2002年に開設された辰巳サポートセンター

大槻創業時はとにかくお金がなく、知り合いから間借りした東京・渋谷区笹塚のマンション一室を事務所にするのが精一杯でした。しかし、そこは西新宿の副都心エリアの近くで、顧客開拓に好都合だったのです。街頭での地道なチラシ配りの結果、徐々に注文が増え、3ヵ月後には、老舗の写真現像会社から契約便として一挙に1日5台を受注できたのです。

会社設立早々に事業も軌道に乗り始めたわけですね。

大槻ただ、当初から人材不足に悩まされました。当社は、ディスパッチャー(バイク便のライダー)と歩合制による業務委託という形をとっているのですが、業務量も日によってまちまちなため、定着率が低い。しかしながら、一本の電話の依頼でも、その後もずっと使っていただけるかもしれないビジネスチャンス。人員不足でそれを逃すのは絶対に避けなければなりません。

当時はどのようにして人材を確保されていたのでしょう。

大槻求人広告にはお金をかけていたものの、思うように採用に結びつきません。ただ、募集をしていて分かったのは、応募者が予想以上に通勤利便性を気にしていたこと。応募者の通いやすい場所に営業所があれば人も集まるのではと、別拠点の開設を考えたのです。

87年に営業所を開設されていますが、なぜ墨田区に。

辰巳サポートセンターの屋上は駐車場になっており、車両の昇降をスムーズに行えるよう専用のリフトが備えられている。

大槻墨田営業所がある墨田区錦糸町は、近隣にたくさん応募者が住んでいたエリアの一つ。既に、笹塚本社では2フロアの延25坪に拡大していましたが、事業拡大を睨み、思い切って50坪ほど借りました。

また、東京の中心から見て、笹塚と錦糸町は対角線上に位置しています。拠点毎に担当エリアを決め、受注顧客を分ければ、配送距離短縮による効率アップで、人材不足を補えるのではと考えたのです。

開設の効果はいかがでしたか。

辰巳サポートセンターの屋上は駐車場になっており、車両の昇降をスムーズに行えるよう専用のリフトが備えられている。

大槻人材確保という点では大きな成果がありましたが、エリア分けについては大失敗でした。それぞれのエリアで受注顧客を分けてしまうと、ディスパッチャーが笹塚方面から錦糸町方面に向かい、荷物を届け終わった場合、その足で錦糸町方面の便を受け取れないのです。バイク便の特性から見て逆に非効率でした。その後、受注は笹塚本社に一本化し、あくまでも墨田営業所はディスパッチャー管理と募集の拠点としました。

高まる配送需要と人材不足に対応すべく、新サービスを開始

以後の本格的な拠点展開は、やはり人材確保のためですか。

大槻80年代も終盤になるとバブル景気も本格化、バイク便需要もうなぎのぼりで、人材不足は常に悩みの種でした。営業所は世田谷区、練馬区、葛飾区はじめ、その後約4年間で都内12拠点にまで拡大したのです。都心の地価高騰により、賃料負担は大変でしたが、人材確保のためにはどうしても必要でした。

89年、本社を渋谷区笹塚から大田区へ移されたのは。

大槻当時、バイク便の配車は拠点ごとで行っていましたが、以前のエリア分けのような非効率さが残りました。そこで、大田区多摩川の4階建ての建物を一棟借りし、移転。3階に設置した集中受付センターにて一括受注し、全拠点の集荷・配送管理を集約しました。これをもとに、各拠点のディスパッチャーへと指示を出す方法に変えたのです。  また、バイクをリースして貸すことにしたので、広い駐車場が必要になりました。以前は、ディスパッチャーにバイク持ち込みをお願いしていましたが、彼らの負担を減らし、定着につなげようとしたのです。

同時期、新サービスをいくつか開始されていますね。

大槻まず、バイクでは運べない大き目の荷物も一緒に受託できないかと、90年に開設したのが軽4輪車による軽貨物部門です。さらに、その翌年に「ハンドキャリー便」を開始。主に電車による移動で、破損が心配な荷にも対応できるよう、手渡しで届けるという業界初の試みです。バイク便との連携により、サービスにバリエーションが出せるだけでなく、ディスパッチャー不足も補えたのです。

それほどまでにバイク便需要が増えていたと。

大槻しかし、バブル崩壊が危惧され、需要が減ることは目に見えていました。これを見越し、92年初頭に開始したのが「特急リレー便」です。東京23区を拠点毎にブロックで分け、その間を集荷・配送定期便を走らせるというシステムで、通常のバイク便より2倍近くの件数をこなせます。また、配達時間がかかる代わりに、基本料金を4分の1程度に設定、割安感を出したのです。このシステムなら、安定した受注獲得と配送が実現できる目算でした。

人材募集だけでなく、各拠点をより有効活用したわけですね。

大槻ところが、満を持して開始した「特急リレー便」でしたが、注文が増えません。この新サービスのため、荷物もないのに定期便配送に伴う各拠点の常駐スタッフの人件費・車両費等の固定費が増大。全体で月間1億円以上あった売上も急激に落ち込み、3000万円の赤字となったのです。その後、この新サービスはたった2ヵ月で撤退、バブル崩壊に伴う顧客の経費削減でさらに受注が細り、銀行も掌返しで資金繰りも滞りました。もはや倒産か、という状況に追い込まれたのです。

拠点集約とともに経営体質を改善

なぜそこまで急激に経営が悪化したのでしょう。

大槻その時気づいたのは、少しでも出資を得ようと無理な事業計画を立てた結果、売上が伸びても利益が出ないという悪循環に陥っていたことです。そこに、この新サービスの失敗が重なり、一気に倒産危機に直面したのです。

それからは精神的にも非常に辛い時期でした。各方面になんとか資金繰りをお願いしつつ、とにかく削れるだけ削り、黒字化することに専念したのです。

経営体質の転換を図ろうと考えたわけですね。

大槻そこでまず、新規の人材募集は止め、求人広告費を全面カット。バイクのリースも減らし、当時12ヵ所まで拡大していた拠点を4ヵ所に集約。明日業務を行えるだけの原資に留めることに専念した結果、何とか1年で黒字化できたのです。

そして、この倒産の危機を経てから、組織のあり方も変える必要があると気づきました。会社の組織体制を一新すべく、バイク便の他に、軽貨物部門、その後新設した自転車部門等を事業部化し、経営権を委譲。経営者意識を醸成し、常に危機意識を持った自分の分身を育てる必要があると考えたのです。

2001年の本社移転とは何か関係があったのでしょうか。

各拠点を統括すべく開設された新宿本社

大槻大田区から新宿区へ本社を移転したのは、各事業における拠点が増えた時、これを統括するのに最適な立地と考えたからです。新宿区坂町にある現在の本社は、靖国通りに面し、JR四ツ谷駅をはじめ、3駅4路線が徒歩圏内で交通の便もいい。2階に総務機能を置き、1階は駐車場で、繁忙期には配送拠点としても利用できるわけです。

また、バブル後の不動産市況を読み、底値と判断。賃料削減のため1、2階を区分所有で購入しました。

翌2002年にも、江東区辰巳に倉庫を購入されていますね。

大槻江東区の辰巳サポートセンターは、拠点を一ヵ所に集約できるだけのキャパシティと、今後の事業拡大を睨んで購入しました。2階建ての延420坪で、2階に集中受付センターを置き、受注から集荷・配送管理を集約し、業務の円滑化を図っています。1階は、ゆくゆくは顧客の在庫管理まで受託することを視野に、現在は空きスペースにしています。

また、屋上は駐車場となっており、バイクのほか軽4輪車の駐車も可能。拠点集約にも十分耐え得る駐車スペースも確保できたというわけです。

配送需要を読み取った拠点展開で、最適なサービス供給を実現

集荷・配送対象エリアは全国ですが、地方での対応はいかに。

大槻これまで地方では自ら拠点を持たず、地元の同業他社との提携により全国をカバーしてきましたが、昨年11月には初の地方拠点となる名古屋サポートセンターを開設しました。実体経済の影響を受けやすいバイク便にとって、不況にも強いと言われる名古屋は非常に魅力的なことと、中部国際空港の開港で、周辺の配送需要が増えることを見越し、拠点開設は必須と考えたのです。

今後の拠点展開はどのように考えているのでしょう。

大槻今後も拠点の開設は東京がメインになるでしょう。今年4月には、やはり人員確保のため、笹塚、五反田、葛飾に拠点を開設しました。最近の景気回復に加え、ITの浸透により、ネット上で様々な決済が可能となったためか、配送にもさらにスピードが求められています。

当社は創業以来、常に配送の需要と供給の均衡に腐心してきました。需要を多めに見込み、人員を確保すればより良いサービスとなります。しかし、裏返せば、供給者であるディスパッチャーへの分配も減ってしまう。そのバランス感覚を維持するのは非常に難しいのです。つまり、当社が目指すのは"瞬間物流取引所"。今この瞬間にある配送ニーズに対し、最も早くかつ適正な料金でお応えするには何が必要なのか。これをさらに追求しなければならないと考えています。

需給の均衡を実現するための拠点展開というわけですね。本日はありがとうございました。

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上記内容は オフィスジャパン誌 2007年夏季号 掲載記事 です。本ページへの転載時に一部加筆修正している場合がございます。

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