ビジネス一色の街から様々な人の交流が生まれる街へ、複合用途へ変貌を遂げる大丸有エリア
バブルの崩壊をきっかけに、生まれ変わることが求められた丸の内
「私が入社したのが、バブル経済真っ只中の平成元年。30数年経ちましたが、あの頃の丸の内と今の丸の内では、見える光景がまったく違うんですよ」。そう話すのは、三菱地所(株)執行役員兼コマーシャル不動産戦略企画部長の井上俊幸氏だ。「製造業を中心に数々の重厚長大企業が本社を構え、そこに勤めるワーカーたちが朝9時から夕方5時まで働く。そして、夜になれば人がいなくなる。当時はそんなオフィス街でした」。
東京駅のすぐ西側に位置し、かつて東洋一のビルと呼ばれた旧丸ビル、そして旧新丸ビルがそれぞれ2002年、2007年に生まれ変わり、2009年には丸の内パークビルディングが竣工。現在、高層ビル群の間を南北に縦断する丸の内仲通りには、高級ブランドや飲食店が並び、年間を通して様々なイベントが開催されている。つまり、丸の内はオフィス街でありながらも、ビジネスに限らず、また、曜日や時間を問わず人々が集い、活気と賑わいのある街へと変貌したのである。
その契機となったのは、バブル経済の崩壊だ。「当時、銀行再編の影響で、丸の内仲通りにあった銀行の店舗は次々に撤退し、残ったのはサラリーマンたちがお昼に利用する飲食店ぐらいでした。新しいテナントに入ってもらおうと思っても、夜に人がいなくなる街では採算が見込めず、入ってもらえません。そのため、丸の内という街全体を生まれ変わらせる必要があると感じました」。
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