オフィスという器に"伸びしろ"をつくる、それが、企業成長を左右するキーファクター
クリエイター・エージェンシー事業を展開する、株式会社クリーク・アンド・リバー社。テレビや映画、Web、ゲーム等、クリエイティブな業界に特化し、ク リエイターに最適な仕事を提供する。同時にコンテンツ制作のニーズにより、組織したクリエイターを縦横無尽に組み合わせ、コンテンツの企画・制作まで幅広 く応えている。業界でも高い評価を得ている同社だが、創業者であり代表取締役社長の井川幸広氏は、自身もかつて売れっ子テレビ・映像ディレクターとして活 躍。起業への想いとともに、創業当初からのオフィス変遷を振り返りながら、オフィスに対するこだわりとその思想を伺った。
株式会社クリーク・アンド・リバー社
代表取締役社長 井川 幸広 氏
日本のクリエイターを取り巻く環境を整備すべく、フリーランスのテレビ・映像ディレクターを経て、1990年、株式会社クリーク・アンド・リバー社を設立。2000年6月、ナスダック・ジャパン市場(現・ヘラクレス)に株式上場。現在では登録クリエイターが4万人を超えるまでに成長している。また、エージェンシー事業の領域はクリエイティブ業界にとどまらず、医療界、法曹界、さらにIT業界へと広がっている。
創業当初、家賃は7,500円から一気に60万円へ
まず、起業のきっかけにはどのような想いがあったのでしょう。
井川もともと私はフリーランスのテレビディレクターとして、主に社会派のドキュメンタリー制作に携わっていました。日本全国はもとより、海外20数ヵ国を訪れ、いろいろな経験をしました。そんな中、ある番組制作で、アメリカの映像スタッフと一緒に仕事を行ない、米国と日本のクリエイターの立場の違いを知りました。アメリカのクリエイターはフリーランスといえどもユニオンに加入しているため、安定した仕事環境を得ています。一方、日本では、クリエイターの活動に対してバックアップする組織がない。会社に所属していないという理由で住宅ローンが組めないということも普通にあるわけです。私もフリーランスとして業界に身を置く者として、社会的地位が低いと思っていました。
そこで、クリエイターとクライアントの間に立ち、クリエイターに代わって営業や交渉、契約など煩雑な業務を行なうエージェンシー・サービスがあれば、彼らがクリエイティブな企画や制作活動に専念でき、より良い作品を生み出せるのではと考えました。そこで、1990年、クリエイターの環境改善と地位向上をビジネスと結びつける、エージェンシー・ビジネスで起業したわけです。
最初のオフィスは東京の新宿区荒木町に開設されていますね。
井川オフィスといっても六畳一間に机が一つ。当時お世話になっていた会社の社長が借りていた、四谷三丁目駅近くのマンションを間借りさせてもらったのですが、家賃は破格の月7,500円。当時の社員は5名でした。最初の1年はディレクター時代からやっていたコンサルティングによる収入だけだったため、家賃が安かったことは精神的な余裕にもつながりました。
そのわずか半年後、千代田区一番町に移転されたのは。
井川起業の本来の目的だったエージェンシー・ビジネスの足がかりとして、まずは一般労働者派遣を行なう許可を得る必要がありました。許可にはオフィスに一定以上の広さが必要で、当時の間借りの事務所では申請できないということでした。そこで、千代田区一番町にある3LDKのマンションへと引っ越したのです。千代田区一番町は、クライアントとなる放送局が近くにあり、街の雰囲気も非常に良い。地下鉄の半蔵門駅や麹町駅からもほど近く交通にも便利な場所です。しかし、月額家賃は月60万円。それまでの7,500円から、一気に跳ね上がります。毎月の固定費としてそれだけの金額が払えるのだろうかと、非常に不安でしたが、今後クリエイター・エージェンシー事業を本格化させていくためには、どうしても必要な投資だと移転を決めたのです。
企業の成長期に不可欠な"空気感"の共有と、オフィススペースの"伸びしろ"
その後、事業の進展はいかがでしたか。
井川事業は少しずつ軌道に乗っていきました。これに伴い人員も増やそうと、同じマンションの7階にもう一部屋借り、経理等の管理系の部署を置いたのですが、2つのフロアで空気が全く変わってしまいました。営業部門のある2階は戦場のように慌しいのに、7階ではほのぼのと3時のおやつが出てくる。これではまずいと、同じ一番町にあるワンフロア40坪ほどのオフィスへと移転し、全員を同じフロアに集めたのです。
フロアで空気が変わってしまったのは、予想以上に影響があったと。
井川当時はちょうど事業が波に乗り始めた時期。まだ小さな会社が部門によって全く違う空気になってしまっては、同じ方向に進むことができません。特に事業の草創期は社内の空気感を共有し、一体感を育むことが重要と考え、以降はできるだけフロアを分けないようにしました。
移転したオフィスは40坪と、当時の社員10名強には広く、埋まるのかどうか不安でした。しかしながら、映像関係のクリエイター・エージェンシー事業が軌道に乗り、オフィスはすぐに一杯になりました。その後も一番町周辺で80坪、200坪と移転を繰り返したのですが、会社の成長を高く見込み、常に広めに借りることを意識しました。
99年、一番町を離れ、港区赤坂のカナダ大使館ビルへと移転されたのはなぜですか。
井川当時の移転では300坪ほどの規模を見込んでいたものの、一番町・麹町周辺ではなかなか条件に合う物件が見つかりませんでした。そこで、一番町から少し離れた港区赤坂にある、ワンフロアの広いカナダ大使館ビルで、約500坪ほどを借りることにしました。最初はやはり広すぎるかなと思いましたが、当時は会社も押せ押せのムード。室内はできるだけ間仕切りを設けず、見晴らしを良くし、全社員で空気感を共有しながら士気を高め、会社をどんどん大きくしていこうと考えたのです。
面積を広めに取ったことで、賃料は負担にならなかったのですか。
井川確かに負担は大きかったのですが、もっと重要なのは会社を伸ばしていこうというマインド。社員にそれを最もわかりやすくかつ効果的に伝えることの一つが、広いオフィスへ引っ越すことだと思うんです。オフィスという器に、広さという"伸びしろ"を用意すれば、社員はオフィスに見合う会社にしようと、能力をフルに発揮するはずです。
この甲斐あって、最初はテレビ・映像のクリエイター、クライアントが中心でしたが、徐々に広告・出版、ゲーム、Webに対応メディアを広げ、事業を拡大。翌2000年には上場を果たすことができました。今にして思えば、事業の先が見えない中で3LDKのマンションに移転した時の決断が、その後の当社の成長を後押ししたと言っても過言ではないでしょう。
一棟借り物件への本社移転で、独自のオフィス環境を構築
2006年には、麹町にある現本社のC&Rグループビルへ移転されていますが、当時の経緯は。
井川事業の更なる拡大により、カナダ大使館ビルのオフィスはすし詰め状態となり、すぐにでも移転しなければならない状況でした。各事業は順調で、会社全体の規模がみるみる大きくなっていたのです。移転先のオフィス面積は800坪を見込み、できればワンフロアがよかったのですが、それだけの条件を満たすビルは都内を見渡してもそうはありません。
対象エリアを広げないとまず見つからないだろうと妥協しかけていた矢先、麹町で建て替えを予定している物件があり、一棟貸しでテナントを募集しているという情報を耳にしました。規模は5階建てで、貸床の総面積は約900坪。ワンフロアとはいきませんが、創業の地でもあり、地の利のある麹町で、これだけの規模を確保できる物件はそうそうお目にかかれません。さらに、まだ基礎の段階だったため、建物の内部レイアウトは自社仕様も可能だということでした。結局これが決め手となり、この麹町2丁目のビルへ移転が決定したのです。
自社仕様とは、具体的にどのようなオフィスなのでしょう。
井川さまざまなコンテンツを制作するにあたって、クライアントの秘匿性の高い情報を扱いますから、まずセキュリティをしっかり構築する必要がありました。当社では、契約している外部のクリエイターが徹夜で作業することもあり、作業をするフロアと契約等を扱う管理部門とはきっちり分かれていなければなりません。その点、フロア単位で独自のセキュリティシステムを構築できたことは、一棟借りでなければ難しかったでしょうね。
また、2階には最大200名収容可能なセミナールームを設けています。ここは全社ミーティングや株主総会をはじめ、クリエイター向けの講座やセミナー等、幅広い用途で使用し、土日も稼働しています。
3階の執務室にはテレビモニターが多数設置されていますね。
井川当社のエージェントは、テレビ局の制作現場をマネジメントする、いわばクリエイターとテレビ局との架け橋。担当部署の要望でテレビモニターを設置し、当社クリエイターが携わった番組をリアルタイムでチェックできる環境を整えました。
また、受付まわりや執務室はなるべく間仕切りは作らず、空気感を共有できるようにしています。4階には、広いリフレッシュルームを設けていますが、ここで他部署とのコミュニケーションを取ってもらい、社内の空気を入れ替えられるよう配慮しています。
移転後、社内外の反応はいかがでしたか。
井川居住性という点では、重視したのが空調設備。以前のビルはセントラル空調で夜になると空調が切れ、夏場は特に大変でしたが、ここはゾーン毎の個別空調で非常に快適だと好評です。やはりクリエイティブな仕事には、居住性は何より重要な要素の一つです。
一方、外観については、全面ガラス張りで、エントランスも重厚感があり、来訪者にも思った以上にいいビルだと思っていただけるようです。加えて、「C&Rグループビル」とビル名に社名が入っていることで、企業としてのブランディングや信用力の点でプラスになっていると思います。これも一棟借りのメリットの一つといえるでしょうね。
良質なエンタテインメント産業を地方へ、海外へと拡充させるための環境づくり
2004年設立の子会社「C&R総研」は、地方拠点も積極的に開設されているようですが。
井川近年、経済産業省の支援のもと地方自治体でも新しいデジタルコンテンツ産業を広めようという動きがあります。ただ現状、エンタテインメント産業については8割が東京、1割が大阪、残る1割が地方という一極集中の世界。そこで、コンテンツ分野に関する調査研究・開発を行なうC&R総研の佐賀支社としての位置けで設立した「アジアコンテンツラボ」は、佐賀県内のクリエイターや民間企業との連携強化によるコンテンツ制作案件の受託強化や、産学官連携での研究開発を目的としています。アジアコンテンツラボの活動により、県内のコンテンツ産業の活性化と雇用促進を図りたいと考えています。
コンテンツ産業活性化を全国レベルで後押しされていると。
井川国内にとどまらず、近年では海外へも進出しています。2001年に設立したCREEK & RIVER KOREAは1000名を超えるスタッフが韓国の主要テレビ局で活躍しています。今後は発展著しい中国、エンタテインメントの本場・ニューヨークにも進出していきたいと考えています。
国内の枠を越え、海外でもクリエイターのための環境づくりを推進されていくというわけですね。本日はありがとうございました。