日本の金融センター大手町エリアを中心にスタートした移転先探し
まずは本社移転に至る経緯を、時系列で追ってみよう。同社が入居していた大手町のビルは、2011年に取り壊しが予定されている。そのため、当初から定期借家契約が設定されており、そのリミットは2010年8月。新たなオフィスを探す必然性がある中で、物件探しに動き出したのは2008年6月。より良い移転を、安全に実現させるには、余裕を持って活動すべきだという会社のプランに応じてのスタートだった。
不動産仲介業者に委託してのビル探しだったが、ポイントは2点あった。1つは、当時本社があった大手町および東京駅周辺であること。日本最大の金融センターである大手町に本社を置くことは、金融ビジネスを生業とする企業にとってはメリットがある。それが難しくとも、アクセスやバリュー、業務上の利便性を考慮すれば丸の内、八重洲、日本橋が候補となり、東京駅周辺からは離れたくないところだった。
もう1つのポイントは、いうまでもなくコスト。既存の賃料よりも低廉な物件を探すことは、その頃の市況環境を考えれば当然のことといえるだろう。ただ、当時のオフィス市場は、まだ高めの賃料相場を維持していたため物件探しは難航し、徐々にエリアを拡大しながらの選定となった。最終的には顧客に対するアクセスや利便性などを重視し、2008年11月、当時建築中であった日本橋のビルへの翌年11月の移転が正式に決定することとなる。
コンペにより外部専門家を決定 決め手はプラスαの提案力
同社では、移転プロジェクトに関しては当初から外部の専門家を招聘することを決めていた。ビルの竣工は2009年10月1日。約1年間の準備期間がある。にもかかわらず専門家との提携を考えたのは、本社機能の移転のためBCPを考慮したことと、建築やオフィス構築に関する専門家がおらず、しかも多忙な通常業務も重なり十分な時間が割けないことがわかっていたからだ。そんな中、この移転ではスケジュールの遅延や移転でのトラブルは絶対に許されない。例えばオフィスの引越し1つとっても、実施可能な期日はビル竣工後の11月の3連休、土・日・月曜の3日間しかない。なぜなら、同社の業務は資産運用。証券市場が動き出す火曜日の朝9時に通常通りの業務が開始できなければ、企業の存亡に関わるほどの大問題となる。つまり、金曜日の夜遅くまで仕事をして、そこから引越しをスタート。書類梱包から各種金融システムの稼働テストまでを3日間で終わらせなければならないわけだ。勝手のわからない非日常的なプロジェクトにおいて、これを自社内のみのマンパワーで、しかも日常業務を行いながら手がけるのはあまりにリスキーだとの判断だろう。
そして、より良いオフィスづくりのためのパートナー探しの第一歩として、3社によるコンペを実施した。条件として最も重視したのは、社員の業務時間を極力割くことなく、約1年で完璧に移転を実現できるノウハウ・実績があること。3社からの提案を比較検討して選ばれたのはCBREだった。「同社は歴史と経験があり、また、損保ジャパンのグループ企業の移転PMを担当していたため、その評判と実績も評価しました。コスト面はもちろんですが、一番の決め手は提案力とサポート体制。実際に、想像していた以上に綿密な提案力と、十分に顧客の立場に立ったサポート体制でプロジェクトを推進してもらいました。つまりプラスアルファの魅力があったということです」担当部の部長は当時をこう振り返る。
全社員アンケートで意向を抽出 快適なビジネス空間を創造
こうして、本格的な移転プロジェクトが始動した。チームは同社の各部門から選抜された10名のワーキング・グループ(WG)にCBREを加えたというメンバー構成である。
それでは具体的に、どういうオフィスにしていくのか。この命題に対して、プロジェクト・チームがまず実施したのが全社員に対するアンケート調査だった。既存のオフィスの不満点や新オフィスに期待する点を把握し、生産性を向上させ、これからの本社にふさわしいビジネス空間を創造するには、そこで働く社員にヒアリングするのが一番、というわけだ。こういったボトムアップで社員の望む機能を採用していくことは、当たり前のようで、その具現化はなかなかできることではない。出てきた問題点は個人の業務環境と、オフィスの共有スペースに対する不満の2つのタイプがあり、個人スペースが狭いといったものから、インフラ周りや周辺の音の問題まで多岐にわたった。この定量的結果と、コンサルティングからの定性的な問題点をCBREが提示し、オフィスコンセプト、具現化のためのコストシミュレーションを導き出していった。
ユニバーサルデザインのレイアウト 各種コンペによるコストダウンの実現
オフィスづくりでこだわったのは、執務環境の向上である。社員の多くは運用部門で、その他のバックオフィスのメンバーも含めて、業務時間内の在籍率は高い傾向にある。したがって、この点が重要なポイントになるのは当然だろう。また、ヒートアイランド現象を防止する空、水、緑をイメージさせるインテリアを取り入れることで、CSR(環境対策面)を社員に意識付けさせながら、移転によりワンフロアが狭くなったオフィスでも明るさや広さを感じられるようにした。
特に重視したのが執務スペースの確保。旧オフィスは島型対向の一般的なものだったが、個人の執務スペースが狭く、背中合わせに座る社員同士のイスで通路が通れなかったほどだ。そのため、アンケートにおいても業務に集中できないといった不満が数多く寄せられていた。ワンフロアで330坪の使用面積から430坪と拡張したものの、2フロアに分かれているためロスも多くなる。そんな中、プロジェクト・チームが採用したのは、ブース形のL字型デスク。これまで部署ごとにバラバラだったものを新たに全社統一仕様にすることにした。ここで問題になったのがコミュニケーションの阻害と導入コスト。社内の一部からは、パーテーションがあることでコミュニケーションに支障をきたすのではないか、という声が上がった。
そこでプロジェクト・チームでは、まずベンダーのショールームや最先端のオフィス環境を実現した企業の現場を実際に見に行きそのメリットを実感し、全社向けには、①個人業務の生産性の面から社員の要望が強いこと、②今後発生するレイアウト変更において、規格を統一することで長期的に見ればコスト低減が図られる、そして③3日間の引越し期間でオフィス機能を完全に移行させるために、事前に新オフィスを新たな什器で作り上げておき、当日は荷物の移動のみとすることが必要不可欠であることを、イニシャル・ランニングコストを綿密に比較しながら理解を得た。ここでも、数社のベンダーに対してコンペを実施することで、クオリティを下げずにコスト削減を図ったことはいうまでもない。またCSRの観点から什器は全て新規調達という手法はとらず、タイムスケジュールを考慮しながらキャビネットやイスなど、使えるものは旧オフィスから転用しつつニーズに沿ったユニバーサルデザインの導入を達成した。さらに、オフィスでは集中力を要する個人作業が中心となり、社員同士の横のつながりが希薄になりがちとの課題に対応するため、モードチェンジと社員間交流促進を図るためのコミュニケーションエリアを階別に異なる形態で設置し、フロア間の社員の交流も狙った。その他、金融機関本社としての高い信頼性を守る非常用自家発電機の設置、サーバールームの免震対応、監視カメラの設置など、会社全体と社員個人のセキュリティ、CSR、職場環境、仕事の生産性を向上させる環境づくりが随所になされていった。
業務効率の向上と空間の有効利用を同時に実現したペーパーレス化
そしてもう1つ、本社移転に際してプロジェクト・チームがどうしても実現しようとしていたのが書類の電子化、いわゆるペーパーレス化である。印刷時間の短縮や情報共有・意思伝達の迅速化、セキュリティレベルの向上においてペーパーレス化は重要な課題であり、アンケートの中でも要望が出ていた。これが実現すれば、資料の作成時間も短縮でき、結果的に労働時間が減って生産性が高まる。会社全体としてビジネスの生産性が上がるとともに、個人の残業時間の大幅な削減にもなる。さらに、もう1つの理由がエコロジーだ。「当社にはエコをテーマにしたファンドがあり、これは最優秀ファンド賞を受賞しています。グループ各社に先駆けてペーパーレス化を実現するのは、いわば使命といっていいかもしれません」そう語るプロジェクト・メンバーの発言には説得力があった。
だがペーパーレス化の実践は、これまで多くの企業が目指しながら、なかなか実現できていないテーマでもある。なぜなら、書類に変わる意思伝達のシステムとスキームが社内に確立していなければ、結局は容易な手段である"紙"に戻ってしまうからだ。その意味で、一気にオフィスという器の仕掛けづくりと社員の意識改革が行えるオフィス移転は、絶好のチャンスといえるだろう。
プロジェクト・チームでは、会議室にプロジェクター、LANを設置して情報の共有、伝達、加工をしやすくした。また、プリンター、ファックス等の出力機器台数を大幅に減らし、代わりにスキャナー機能付の複合機に変更し、社外から入ってくる情報も電子化した。同時にWGを通じて、他社の先進的なオフィスの見学会・勉強会を実施し、データ管理の簡便性やセキュリティ面でのメリットを理解してもらえるように努めた。
また、ペーパーレス化により、これまで紙を保存していたスペースを、会議室やコミュニケーションスペースに利用することができる。事実、以前と比較して保管スペースを25%も削減しており、そのために一人ひとりの執務スペースも広く使えるようになったのだ。
同社の移転プロジェクトは、決して贅沢をしたものではない。執務環境の向上とコスト削減という、一見、相反するテーマを、考え抜き、無駄をすべて洗い直していくことで実現したものである。