25年ぶりの本社移転 フロア集約で作業効率の高いオフィス
CIJは、1976年の創業以来、横浜に拠点を置く独立系ソフトウェア開発会社である。社員の9割がエンジニアのプロフェッショナル集団で、そのうちの多くは大手メーカーを中心とする客先に常駐してシステム開発を行っている。
同社は今年1月、25年間拠点を構えていたビルから、みなとみらいの新築複合オフィスビル「横濱ゲートタワー」に本社を移転した。移転に踏み切った大きな理由に、「旧本社オフィスはハードとして使い勝手の悪さがあり、作業環境には様々な課題があった」と話すのは、移転の責任者の一人である執行役員の白須英大氏(経営戦略推進室室長)である。旧オフィスは、5階から7階までの3フロア(計750坪)に分かれており、互いの顔が見えないことによる不都合が頻発していた。例えば、「5階で仕事をする社員が7階の部門に用があるとき、内線電話で在席を確認してからでないと、上り損になることが度々ありました」と、移転プロジェクトリーダーの降籏浩司氏(グローバル・デジタルビジネス事業部 部長)は振り返る。
また、会議室問題も深刻だったという。同じく移転プロジェクトリーダーの水野真紀氏(法務・監査室 副室長)は、「そもそも会議室が少ないだけでなく、多くはパーテーションで仕切られただけの空間でした。機密性の高い会議の開催を行える会議室が少ないことに加え、そうでない会議にしても声が隣に聞こえないように配慮する必要がありました」と話す。これらの問題を解決するため、「ワンフロアに集約し、社員が働きやすく、作業効率の高いオフィスをつくろうと考えました」と白須氏は本社移転の狙いを説明する。
20年前からあった移転話 供給増の2016年から議論が本格化
実は、本社の移転話が出たのは最近のことではなく、約20年前から経営課題に上がっていたという。当時をよく知るベテラン社員であり、施設構築の実務を担当した大和田勝氏(ADM本部 総務人事部)は次のように話す。「当時は自社ビル建設の話が出ましたが、“持たざる経営”が世の中の流れだったために取り下げました。その後も、『本社移転を頭の隅に置いておくように』と当時の社長から指示があったものの、長らく具現化しなかったのは、本社移転よりもまずは事業の足元を固めることが優先されたことや、客先に常駐する社員が多く、基本的には本社オフィスで働かないビジネススタイルも影響していたと思います」。
やがて、2011年に東日本大震災が発生すると、防災対策の観点から、各地の支社をより安全なビルへと相次いで移転させた。同時に、働きやすい環境の実現をしていった。一方、横浜本社に関しては、「移転するならワンフロアへの集約が至上命令でしたから、十分な広さの物件を探そうにも、当時はモノがありませんでした」と大和田氏。その後、再び本社移転が浮上したのは、物件の供給が増え始めた2016年頃のことだ。当時は社会においても働き方改革が叫ばれ始めており、本社移転をきっかけに働き方も刷新しようと、具体的な議論が始まった。
移転先に関しては、東京へ移る案もあったが、「従業員の通いやすさと、神奈川県内でトップレベルのIT会社という自負から、横浜からは離れない」(大和田氏)という選択に落ち着いた。立地候補として、インテリジェントビルが集積するみなとみらい地区が挙がったが、社員に感触を確かめたところ、「横浜駅を拠点としたい」「駅から遠いイメージがある」など否定的な意見が出た。 CIJのビジネス観点からも、「横浜駅から近い場所」を条件とした。
その後も移転先候補を探り続けていると、 2019年、2年後に竣工予定の横濱ゲートタワーが候補に挙がった。ワンフロア835坪は、会社の今後の成長計画と照らし合わせても求めていたサイズにジャストフィット。みなとみらい地区の中でも横浜駅に近い立地は、社員の要望にも合致する。本社移転という大きな投資を回収できる程度に会社が成長し、「経営面でもその時がタイミング」(白須氏)だったという。
さらに、決断を早める追い風が吹いた。ビルオーナーから1ヶ月弱という短期間で入居するか否かを決めるよう迫られたのである。責任者の一人である執行役員の森田高志氏(経営企画部部長)は、「この頃は市場が逼迫していて、みなとみらい地区での入居を検討している会社がたくさんありました。その中で即決できたのは、それまでに移転先の条件を十分に議論できていたからだと思います」と話す。賃貸契約を結んだのは翌2020年3月。その直後にコロナウイルス感染症が流行し始めたのは想定外だったにせよ、20年にも及ぶ本社移転構想がようやく現実のものとして動き出した。
社員の意見を反映するはずが ワーキンググループの議論が停滞
プロジェクトマネジメントをCBREに依頼するところから、移転プロジェクトはスタートした。「マネジメント費は決して安い金額ではありませんが、当社の主事業であるシステム開発を通じてプロジェクトマネジメントの重要性は十分に認識していたので、経営層の理解もスムーズに得られました」と森田氏。2020年4月、デザイン会社からデザイン案が出されたのと同時に、社員代表による本社移転に向けたワーキンググループを発足させた。社員の意見を反映させながら新しいオフィスをつくるためである。課長クラスの管理職と若手社員の組み合わせで、1部門から2名ずつ、計20人弱が選出され、月1回の話し合いが行われた。
ところが、1年が経っても物事がなかなか進まない。そこで新たに結成されたのが、社長肝いりのタスクフォースである。降籏氏と水野氏をリーダーとする総勢7名の精鋭部隊が、ワーキンググループの議論をリードすることになった。これが2021年6月のこと。そこから翌年1月の引っ越しに向けて、ようやく物事が進んでいったという。
では最初の1年間、ワーキンググループでは一体何が起きていたのだろうか。水野氏は、「みんなの意見を尊重するあまり、出された意見がすべて案として盛り込まれていて、収拾がつかない状態でした。例えば、今回新設することになったリフレッシュルームに、サンドバッグを置きたいとか(笑)。タスクフォースが議論に加わってからは、みんなの意見も大事にしながら本当に必要なもの、あったほうがよいものを選択していきました」と話す。
タスクフォースは、社員を巻き込んだ椅子選びでも活躍した。椅子はデスクワークの長いエンジニアには大事な要素。まずは、タスクフォースが椅子の候補を二つに絞り、実際に社員に座り心地を確かめてもらったうえで、投票によって決めた。「社員にも移転に参加している感覚を持ってほしかったので、やってよかったと思います」と降籏氏。一方、苦労したのは、膨大な量の契約書類を含む紙の削減だった。「引っ越しするにあたり、キャビネットを3分の1に減らす必要があり、その旨を前々から社内に通達していたのですが、全然進まなくて。結局、最後の1~2ヶ月でようやく電子化して削減できました。みんなで協力したことで社内の一体感が生まれたという意味では、今振り返るといい活動だったと思います」(降籏氏)。
見通しのよい開放的な執務空間 中央にはマグネットスペースも
新本社オフィスをつくるにあたり、経営層にはある想いがあった。社員が働きやすいオフィスをつくるとともに、社員のモチベーションや帰属意識の向上につなげたい、ということだ。白須氏は次のように話す。「これまでは客先常駐の仕事スタイルが主流でしたが、これからは社内に持ち帰る仕事の割合を増やしていきたい。というのも、客先常駐では仲間と会えないし、社内の様子も分からない。やっぱり僕らは仲間と一緒に仕事をしたいんです。最近のIT業界は技術の進歩が早いため、いろんなことを覚えなければならないし、いろんな技術を持った人たちが必要です。適材適所でチームを組んでプロジェクトを進めていくには、互いに顔の見える場所で仕事をするのが一番。それぞれの個性や技術が自然と掛け合わされるようなオフィスをめざしました」。
248席ある執務室は、柱のない開放的なビルの形状を生かし、見通しのよい空間にした。フリーアドレスをめざしたが、エンジニアがデスクトップパソコンを使っているため、やむなく固定席を採用。その代わり、袖机を廃止し、無線環境を用意して、ノートパソコンでならどこでも仕事ができるようにした。これも「将来、完全フリーアドレスに移行するための準備」(降籏氏)である。
フリーアドレスのミーティングスペースを各所に設けたほか、1人用のワークスペースも設置した。「旧オフィスでは、客先常駐者が帰社したり、他の拠点からメンバーが来たりした場合には、空いている誰かの席に座っていました。また、月数回の定例会議に参加する社員用に、わざわざ固定席を用意したこともあります。フリーアドレスのスペースを確保したことで、本社に席のないメンバーのための環境も整備できました」(降籏氏)。
旧オフィスで圧倒的に不足していた会議室は、数名程度の小・中会議室を増設し、さらには100名収容のセミナールームも設置した。社内研修で定期的に使うことの多いセミナールームは、3分割することで、用途に応じて大きさを変えられるようにした。また、紙削減の観点から、全会議室に資料を映し出せるディスプレイを設置。さらに、テレワークのメンバーとオンラインで打ち合わせができるように、こちらも全会議室に据え置きのマイクとカメラを用意した。
新オフィスのこだわりは、執務室の外に設けたリフレッシュスペースとは別に、執務室の中央に「マグネットスペース」という名のコミュニケーションスペースを用意したことだ。ここに共用のステーショナリーやコーヒーメーカーを置くことで、社員の交流を促している。もちろん、コーヒーメーカーの選定は、タスクフォースが2社に候補を絞り込み、社内で試飲会を実施したうえで行った。「マグネットスペースは、いろんな部門の人が集まることで、アイデア創出のきっかけにもなる。まさに新しいオフィスを象徴する場所です」と降籏氏は話す。
企業理念を実現するためのプラットフォームが完成
移転を決めた直後にコロナ禍に見舞われたことについては、「想定外の事態に最初は戸惑いがありました。どんどん在宅勤務が広がっていく中で、タイミングが悪かったと思うこともありました」(森田氏)。ただし、コロナ禍ならではのメリットもあったようで、「今後のコロナ禍でのオフィス利用を想定できたため、オンライン可能な小規模の会議スペースを多く配置するなど、これまでなかった発想でレイアウト検討の工夫ができたという意味ではよいタイミングであったと考えています。また、移転計画を取りやめた企業が多かったこともあり、当初懸念していた什器メーカーからの資材調達もスムーズに進みました」と話す。
白須氏は、みなとみらいに新たに構築した新本社を「お客様と社員と仲間が集まるプラットフォーム」と表現した。「我々の企業理念は、『情報技術で人と社会にやさしい未来を創造します』というものです。この理念を実現していくための拠点が、今回完成しました。世の中の最先端を行く企業が集まるみなとみらい地区は、神奈川県、日本を代表するビジネス地区です。そこに拠点を構える企業として恥ずかしくないよう、我々もしっかりとやっていきたい」と白須氏は抱負を語った。この場所で同社がこれから何を生み出していくのか、期待を込めて注視していきたい。
プロジェクト概要
企業名 | 株式会社CIJ |
---|---|
施設 | 本社オフィス |
所在地 | 神奈川県横浜市西区高島1-2-5 横濱ゲートタワー 17階 |
稼働開始日 | 2022年1月 |
人員 | 約250人 |
規模 | 約835坪 |
CBRE業務 | 移転に伴うプロジェクトマネジメント |