身軽になれた! 先の見えない時代だからこそ みずから次のステージへ
水面下で模索した「本社売却」という選択肢
岩手・秋田・青森の北東北3県を事業エリアとして、コカ・コーラ社製品の製造・販売を手がける「みちのくコカ・コーラボトリング」。1962年に盛岡市で創業し、1965年に花巻市へ移転。その後2002年からは矢巾町に本社を構えていたが、創業60周年を前にした2021年9月、旧本社を売却し、再び創業の地、盛岡市へ拠点を移した。郊外に約7ヘクタールの広大な敷地と自社ビルを有した旧本社から、都心部にある賃貸オフィスビルへ。コロナ禍の真っ只中、老舗大手のこのアクションを、地元報道各社も一斉に取り上げたが、一連のプロジェクトは、谷村広和代表取締役社長が常務取締役だった10年前から、計画されていたという。「前社長が矢巾町に本社を構えた20年前は、飲料業界も収益性が高く、右肩成長の時代でした。しかし10年前には市場は過当競争となり、飲料メーカー各社がしのぎを削る状況に。その頃、私は常務取締役という立場でしたが、弊社の事業形態を振り返ると、本社機能として旧本社ほどの規模は必要ないんじゃないかと。ただ、その時点では旧本社ができてまだ10年。旧本社を建てた前社長の思いも知っていましたし、まずは私自身のプロジェクトとして、本社をどうしていくのか水面下で検討を始めました」。
谷村社長は当時、旧本社を資産として有効活用していくことと、売却で手放し、経営状態をオフバランスする2方向で模索。売却については、広大な敷地と3階建の建物を有していたことから、病院や大学の研究機関が興味を示すこともあったが、それらの施設に求められる制約や設備面などのレギュレーションをクリアできず、話はふりだしへ。その後、売却価格を抑えることを条件に、話を持ちかけられるケースもあったが、売る側としては譲れないものもある。一方、資産として活用していく道も探ってはいたが、マーケットへの人員の再配置などを進めていたため、本社機能は従業員をはじめ縮小傾向に。そこへの新たな投資は考えられず、話はやはり旧本社を手放し、オフバランスの方向へ進んだ。「水面下で模索して3年が経っていました。本社内はスペースが余りだすなど、無駄を感じるようになっていましたし、その頃には私も代表取締役社長の立場になっていたので、改めて売却に向けて本格的に取り組み始めました」。
信頼関係を大切にして進めた 売却・移転プロジェクト
水面下のプロジェクトから、経営トップが取り仕切るプロジェクトへ。谷村社長自ら、金融機関や取引先など、知己のある企業の一部に声をかけるようにしたという。「とはいえ、大きな進展はなく、その後も数年間、売却先は見つかりませんでした。話が進展しはじめたのは、いまから2年ぐらい前です。以前にお声がけしていた取引先の方が、CBREさんを紹介してくださいました。そこからは売却と本社移転に向けてスムーズに話が進み始めました」。
その頃はすでに、旧本社ができて20年近く。 130名を超える本社従業員が腰を落ち着けて旧本社で働き、近くにマイホームを建てたという人も。「社長の私が進めている話とはいえ、従業員たちの立場や気持ちを考えると、売却や移転の話の伝え方には、慎重にならざるを得ませんでした。まずは上層部の一人ひとりに声をかけ、その次には部長クラスのメンバーたちに。最終的には全従業員に向け、オンラインで前向きな売却と移転であることを伝えていきました」。
2021年春には、物流不動産を手がけるプロロジスと売却について合意。同年秋までには本社を移転することに。売却を公表するタイミングについては、公表前後の段取りをしっかりと決め、マーケットのざわつきがプロジェクトの進行や会社のイメージ、関係先などに影響しないように苦心したという。中でも、本社を置いてから20年にわたって信頼関係を築いてきた矢巾町には、プロロジス側が大規模な物流施設を開設することにより、町の就労人口が数百人規模で増えることなどを伝え、売却と移転を前向きに理解してもらえるように努めたと常務取締役グループ管理本部長の栗谷川幸二氏は振り返る。
先行きが見えないからこそ マーケットを肌で感じられる都心部へ
一方、売却先が決まってからは、関係先と連携しやすい盛岡市中心部にエリアを絞り、移転先となるオフィスのリサーチに着手。広さや見た目より、都心部というロケーションを最重視したという。「昨今のコロナ禍では、都心部から郊外へ拠点を移す企業も多いと思いますが、私たちは逆の選択をしました。なぜなら、旧本社に勤めていた本社従業員の多くは車通勤だったので、日々、決まったルートで会社と自宅を往復するだけの生活でした。都心部のオフィスであれば、身近にさまざまな販売店や飲食店があり、その1社1社がお客様であり、商いの原点であるマーケットを肌で感じることができます。市場の様子をつぶさに知ることが、我々の仕事では大切です」。
競争が激化し続ける飲料業界であるうえに、事業エリアとする岩手・秋田・青森は人口の減少も激しい。しかもコロナ禍では人流が減り、自動販売機の売り上げが落ち込む一方で、ドラッグストアやオンライン販売の実績が伸びるなど、チャネルシフトのスピードが速く、市場の先行きは読みにくくなっている。「コロナ禍以降、在宅勤務や時短勤務といった働き方を推進しつつ、一方では勤務地や通勤手段が変わるなど、本社従業員たちには不安な思いをさせてしまいました。しかし先行きが見えない時だからこそ、こちらからマーケットに近づくことは大前提でした」。
軽やかな企業活動を生み出す 自由度の高い新本社
本社移転先は、盛岡市内中心部にある朝日生命盛岡中央通ビルの6・8階に決まり、2021年9月21日より稼働。延床面積約300坪のオフィス内は、来客のある6階を中心に、コカ・コーラの世界観をもとに明るくポップなテイストでまとめ、一部の部署を除き、フリーアドレスで約120名の本社従業員が業務にあたっている。経営側が労務制度などを調整する一方、新しいオフィスの使い方については、本社従業員たちに委ねたという。「旧本社と比べるとスペースに限りがあり、余分な物は置けません。また、フリーアドレスを導入したいというトップの考えもありました。フリーアドレスとペーパーレス化を進めるため、固定電話の原則廃止やFAX受送信の電子化などに取り組み、移転のタイミングで実施しました。このような変革を大きな混乱なくできたことは、働き方を皆で考え、事前に周知できたことが功を奏したと思います」とグループ総務部長の神谷哲也氏は語る。
旧本社では有り余る広さを活用できていなかったことから、上手く使えるかどうか懸念があったオープンスペースも、今では本社従業員たちが思い思いにミーティングを行い、部署の垣根を越えたコミュニケーションも生まれているという。「コロナ禍で働き方は変わりましたが、働く場所もその時々の戦略に合わせて広くしたり、縮小できたり、賃貸オフィスを選ぶことで自由度が高まったと感じています。昨今の状況が落ち着いたら、また考え方は変わるかもしれませんが、旧本社のような大きい資産を持って頭を悩ませるよりも、うんと身軽になったイメージです」。
旧本社の建築を担当した事業者に売却と移転について伝えたところ、「みちのくコカ・コーラさんは次のステージに進みましたね」と、励みになる言葉をもらったという。2022年、創立60周年を迎える、みちのくコカ・コーラボトリング。新たな拠点を舞台にさらなる飛躍を見せてくれることだろう。
企業名 | みちのくコカ・コーラボトリング株式会社 |
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施設 | 本社オフィス |
所在地 | 岩手県盛岡市中央通1-7-25 朝日生命盛岡中央通ビル6・8F |
営業開始日 | 2021年9月21日 |
人員 | 約120人 |
規模 | 約300坪 |
旧本社所在地 | 岩手県紫波郡矢巾町広宮沢1-279 |
人員 | 約130人 |
敷地面積 | 約7ヘクタール |
CBRE業務 | 旧本社土地売却に向けたプロジェクト推進(買主選定・仲介等)、本社構築に向けた物件紹介・仲介、ABW導入・チェンジマネジメントの調査・コンサルティング、移転に伴うプロジェクトマネジメント |