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三菱地所|平成のオフィスマーケットを振り返る

世界に誇れるビジネス街であり続けるために、
次代は、各社とともに歩むビジネスパートナーに。

三菱地所 執行役常務 湯浅 哲生氏

 

三菱地所
執行役常務
湯浅 哲生

日本最大のビジネス街・丸の内の栄枯盛衰

丸の内は、現在世界でも屈指のビジネス街といえますが、昭和から平成に移る頃は、むしろビジネス一辺倒の印象が強かったといえます。官の街・霞が関に対して、大手企業の本社が集積する丸の内は、ビジネスの中心として長く日本経済を牽引してきた街なのです。私が三菱地所に入社したのは昭和58年ですが、当時大丸有(大手町・丸の内・有楽町)で30棟ほどのビルを所有していました。バブル前夜といえる時期でしたから、景気も堅調で給与は毎年上昇、大手企業は大量の新卒採用が当然といった雰囲気。当社のどのビルも満室で、新人である私に対してさえ「空室が出たら必ず借りるから、すぐに情報を持ってきて」と、どのお客様からも頼まれたものです。

この好況は、オフィスマーケットに新しい展開をもたらしました。既存ビジネス街だけでは、この経済の盛り上がりは支えられないという意識が高まり、そんななか「インテリジェントビル」の先駆けとしてアーク森ビルが開業。時を前後して、都心最大規模の再開発エリアとして、品川インターシティの開発計画が鳴り物入りで発表されました。ちょうどこの頃が、高額賃料が取れる大型高機能オフィスビルニーズが明確になった、節目の時期だったのではないでしょうか。当社も例外ではありませんでしたが、すでに成熟していた丸の内は、新築はもちろん建て替えさえ難しい状況。そこで乗り出したのが横浜のみなとみらい21(MM21)の開発事業で、横浜ランドマークタワーの開発に着手したのです。

しかし、各社がこぞって新たなオフィス街の開発を進めていくなか、元号が平成に変わったわずか3年後、バブル経済が終焉してしまうのです。ご存知のとおり、バブルの崩壊は日本経済に大きな打撃を与えました。なかでも被害が大きかったのが、我々のような業界でしょう。あらゆる業種・企業が影響を受け、オフィスマーケットも当然、調整局面に入り、市場には空室が目立ち始めます。一方、すでに動き出している開発案件を止めることはできません。賃料を下げても新たなテナントは容易には見つからず、過当競争により最新ビルといってもなかなか貸付が進まない負のスパイラルに陥っていきました。平成に入ってしばらくの間は、数多くの案件で軌道修正を余儀なくされた時期といえるでしょう。

バブル崩壊を機に、再生に乗り出した丸ビル

こうしたなか、当社が平成7年に満を持して発表したのが、丸の内オフィス街の象徴だった丸ビル建替による再開発計画でした。バブル崩壊による景気の悪化で賃料施策を余儀なくされ、さらに拠点集約による業務の効率化に向け丸の内から周辺エリアの新築ビルに移転するケースが目立ってきていました。特に象徴的だったのが、1階路面店を占めていた金融機関が、店舗の統廃合などで撤退していったこと。マスコミから「丸の内の黄昏」などと揶揄されたのもこの頃です。ここで当社は大きな選択を迫られました。一つは、バブル崩壊の影響が比較的少なかった外資系金融等をテナントとして積極的に迎え入れ、安定した賃料収入を取るか。もう一つはこの状況をチャンスと捉え、魅力的な丸の内に再生させる新たな街づくりに打って出るか。ご存知のとおり、当社が選択したのは後者でした。新たに目指したのは、オフィスと商業が有機的に融合し、24時間、高い品質の時間を提供する街の再生・創造でした。もともと旧丸ビルは、大正時代に建造された当初から1・2階および地下が全部店舗という複合施設の先駆けで、平成になってもその構成は引き継いでいました。また隣接する有楽町は、高級ブティックが軒を連ねるブランド街。つまり、ビジネス街としての大手町、商業の有楽町、それを繋ぐ丸の内。この3つのエリアを融合させた魅力に溢れた「大丸有」と呼ばれる大きな街の創造を根底に、丸ビルの再開発はそのスタートを切ったのです。再開発の発表後、約250社のテナント企業に専門部隊を編成して移転交渉を開始。通常2年以上はかかるといわれる交渉業務を約1年5ヶ月で完了させたのですが、その他、各種調整に時間がかかり、平成14年の竣工までには7年の歳月が流れてしまいました。

一方、大丸有という約120haの広大なエリアを魅力ある街にするためには、当社だけの力ではとても無理です。当社が所有するビルは全体の3割程度に過ぎず、残りの7割は大手企業の自社ビルなど他の地権者が所有しているため、こうした地権者の方々の協力なしには何も進みません。そこで地権者全体からなる大丸有地区再開発計画推進協議会(現在の大丸有地区まちづくり協議会)を立ち上げ、みなでまちの将来像とその整備手法・ルールを話し合い始めました。その後この協議会と、東京都・千代田区・JR東日本からなる大丸有まちづくり懇談会を設立し、この懇談会における議論をとりまとめた「大丸有地区まちづくりガイドライン」を発行して、公民協調の理念のもと、まちづくりを進めています。このガイドラインには、まちの将来像から、街並を形づくるビルの高さの考え方、景観、サインの出し方など詳細に至るまでが記載されており、また、常に進化するガイドラインとして改定を続けています。何十もの地権者がいて、これだけの規模のエリアのまちづくりの議論を続け、一定の質と形を崩さずに、時代に合わせて適合させているのは画期的なことではないでしょうか。

15年で12棟を建て替え、高機能化する大丸有

三菱地所

丸ビル建設中からもビジネス街のエリア間競争は激化していました。そのため魅力的な街づくりにはスピード感が求められ、丸ビル竣工後、大丸有エリア内では15年間で12棟の建て替えを実施しました。本来ならマーケットの市況に合わせて竣工時期を調節すべきなのでしょうが、街づくりをより重視した結果なのです。そのため、リーシングでは少なからず苦労することにもなりました。

最初の衝撃は、丸ビル竣工直後の平成15年に、三菱グループの主要企業3社が、丸の内を離れていったことです。景気の後退とITバブルの崩壊に新築ビルの大量供給が重なった、いわゆる「2003年問題」の年です。テナントニーズはハイグレード・大規模ビルに集中し、ノートPCが1人1台になり、フリーアドレスが出始め、床はいらなくなるとも言われた頃で、企業がオフィスのあり方を見直し始めた時期でもありました。東京駅前なら便利だといった理由のみではなく、オフィスの生産性や効率性を真剣に考え始めた結果、テナントの目が養われて、オフィス環境や什器のあり方等総合的な提案が求められる時代となったのです。幸い当社では、ビルのスペックから街並、街全体までを一貫して作り上げてきたので、同年から毎年1棟ずつ3棟が竣工したものの賃料もそれ程の影響を受けず、大きな空室を抱えずに済みました。

2008年のリーマンショックについては、その名のとおり衝撃的でした。あらゆる業界が厳しい環境に置かれる状況は、我々オフィス業界にとって最悪なマーケットなのです。実際、リーマンショック前の賃料急上昇とそれが鋭角的に下落したことが影響し、その後の停滞期間が長引いたのも事実です。

そしてもう一つ、当社にとって大きな波となったのは2012年です。前述のように矢継ぎ早にビル開発を進めたことで、同年は23区全体の新規供給床が約35万坪であるのに対し、丸の内界隈に8万坪もの営業床を抱えることとなりました。いくら大丸有が魅力的なエリアとはいえ、この貸室ストックの集中はかなりなもの。ただし、当社はここでもピンチはチャンスだと捉え、外資を含めた金融系大手本社や、現在程の一大集積にはなっていなかった専門プロフェッショナルファームに積極的な誘致を働きかけました。この頃のリーシングを成功裏に終えたことが、新たな大丸有への進化を強く後押ししたことは間違いありません。結果として現在の活況に至る、実りの多い時期だったと考えています。

こうした紆余曲折を経て、平成の30年間で丸の内は生まれ変わりました。仲通りがその一つの象徴で、歩行者中心の通りにブティックやカフェなど1.5kmの並木道が賑わいを見せています。今後はこの場を世界に誇れる街並にすると同時に、一大実験場としていろいろな形の情報の発信場にしてもらいたいと思っています。丸の内には、時代を牽引する様々な有力企業を中心とした「東京21cクラブ」というビジネスメンバーシップがあり、現在約600人が活発に活動しています。また、同クラブとの両輪機能として内外のスタートアップ企業をサポートする「EGG JAPAN」があります。10年以上の歴史を持つこの両者による協業が生み出す化学反応の展開はフィンテックイノベーションとしての「FINOLAB」やAI、ロボティクス、ゲノム、ライフサイエンスなどの分野を中心としてこの2月1日にスタートした、産業構造を変革しうるエコシステムとしての「Inspired.Lab」へと大きくかつ多様に輪を広げており、大丸有が正にオープンイノベーションフィールドへと変貌しつつあります。当社はかつて「丸の内の大家さん」と呼ばれていましたが、今後は自らがその化学反応に積極的に関わっていく必要があるでしょう。丸の内が、大丸有が、世界に誇れるビジネス街であり続けるために、平成の時を経て次代は、拠点を構える様々な企業とともに歩む「ビジネスパートナー」になっていきたいと考えています。

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上記内容は BZ空間誌 2019年春季号 掲載記事 です。本ページへの転載時に一部加筆修正している場合がございます。

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