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ビル仲介一筋のプロが語るオフィス市場の変遷

お役立ち

2019年4月15日

シービーアールイー ビル営業本部 本部長 上遠野 孝

シービーアールイー株式会社 
ビル営業本部 本部長 
上遠野 孝 

不動産業界史上最大の好況 バブルと呼ばれた夢のあとさき

平成元年頃

1989年に始まる平成という時代は、後にバブル経済と呼ばれる空前の好景気とともに幕を開けました。各企業がこぞって新卒者を大量採用し、平成元年は前年比15.3%増という大幅な伸び率を記録しました。一方、新規オフィスビルの竣工は続いたものの供給が需要に追いつかず、そのため、どこの企業でも深刻なオフィスの床不足に陥っていたのです。

その打開策として多くの企業では、本社周辺に継ぎ足しでオフィスを借り、分社・分室化することで対応せざるを得ませんでした。また、大手町や丸の内の本社に加え、高層ビルのあった西新宿に大型オフィスを構え、東京2拠点体制を採る企業も数多くありました。現在とは比べ物にならないほどセキュリティに対する意識が低かったため、ドアを開けると見渡す限りグレーの事務机が並んでいる光景が、珍しくない時代でした。

このような市況下、我々のようなビル仲介業者は1日のほとんどを、ビルオーナーを回っていかに早く空室情報を得るかに費やしていました。そうして得た空き情報を、近くに本社のある企業に持ち込めば、成約に繋がる可能性がかなり高かったことを今でもよく覚えています。

ビル事業は、個人オーナーから大手デベロッパー中心のビジネスに

平成2年~3年頃

当時のビルの特徴は、土地価格が高騰し新規取得が難しかったため、土地を所有する個人が建設するケースが多かったことです。値下がりなど考えられない「土地神話」が信じられていた時代です。フロア40~50坪のビルでも坪当たり3~4万円の賃料が当たり前に取れたため、中小ビルが次々と建っていきました。大型ビルはほとんど満室竣工。空室率も1%を切る逼迫した状況ですから賃料の右肩上がりも当然で、まだ普通借家契約の頃ですが、中には賃貸借契約書で「毎年〇%値上げします」と宣言していたオーナーも少なくありませんでした。バブルとはそんな時代だったのです。

ただ、こうしたお祭り騒ぎも平成3年には終焉の時を迎えます。経済活動は急速に落ち込み、新卒採用を控える企業が後を絶ちませんでした。このため、オフィス床の需要は次第に沈静化したものの、まとまった人員整理ができるわけもなく、急激な床面積の縮小には至りませんでした。しかし、先に触れた契約更新時の賃料増額改定などできるはずもなく、逆にまずは減額交渉し、応じてもらえないなら移転も辞さないというテナントが増え、結果的に賃料も入居率も、なだらかに落ちていきました。また、総量規制によって中小規模のビルの着工がどんどん減ったことで、ビルオーナーの主役が、自己資金力に乏しい個人から、銀行からの資金調達がしやすい大手デベロッパーに移ったのも、この頃からだったといえるでしょう。

バブル崩壊後の不透明さのなか賢い企業は、分散拠点の効率化に

平成4年~8年頃

バブル崩壊以降、テナント企業サイドは、経済環境の不透明さからオフィス床の借り控えが続く一方、バブル期に計画された大型オフィスが平成4年以降も次々に竣工してきました。そのため空室率が上昇し借り手市場に移行。都心部の大型新築ビルでさえ、賃料が3~3.5万円/坪あたりで落ち着き、底値感が漂っていました。

こうしたなか、従来の分社・分室等で分散したオフィス環境が非効率かつ賃料コストの上昇に繋がっていることから、オフィス集約に乗り出す動きが出始めました。これにより、オフィス面積を圧縮して賃料コストを抑えるばかりか、業務の効率化を実現する企業が登場。ニューオフィス化やファシリティマネジメント、ホワイトカラーの生産性向上などは、このバブル崩壊後のオフィス再構築の頃から語られ始めたフレーズです。また合理化による縮小ばかりではなく、一部の収益力のある企業の中には、この機をチャンスと捉え、増床に転じる企業もあったほど。ただし、この時期は都心中心部に開発ができるような土地がなかったため、これまでの既存ビジネス街とは異なるエリアに供給が集中していた感があります。「スフィアタワー天王洲」や「恵比寿ガーデンプレイス」などが竣工したのもこの時期のことです。

こうした時を経て、ビル供給面で大きなトピックになったのが、旧国鉄からJRに移行する際に民間に払い下げられた、品川駅東口貨物ヤードを再開発した「品川インターシティ」の竣工(平成10年)でしょう。これは、都心ではめったに出ることのない広大な土地の再開発計画であり、従来なかったビジネス街が、新たに誕生するということなのです。後に誕生する汐留も含め、東京のオフィスマーケットに大きなインパクトを与えるセンセーショナルな出来事。時を同じくして、市場では新たに「新・近・大」というキーワードが語られるようになっていきました。

大手金融機関までもが次々と破綻 オフィス市場を包むバブルのつけ

平成9年~11年頃

一方、バブル崩壊以降、下がり続けてきた賃料相場が、平成9年に一時、上昇に転じる局面がありました。これは先に述べたバブル時の分散オフィスの集約移転が本格化するとともに、都心回帰の統合・集約ニーズが喚起されたことが原因でした。しかしこの機運は、同年末頃に発生した深刻な金融危機により、急速にしぼむ結果となります。不良債権処理の長期化により、かつては護送船団方式と呼ばれてきた金融政策が崩壊し、銀行や証券会社、生保が次々に破綻していったのです。これまで高賃料を支えてきたのが金融と外資系企業。その一角が崩れたのですから、影響は計り知れません。

これは、ビルオーナーのトレンドが大きく変わる節目でもありました。生保会社は多くのビルを所有していましたが、それが破綻して軒並み売りに出されたのです。また、銀行からの借り入れに頼ってビルを増やしていた老舗の中堅ビルオーナーも、この頃貸し剥がしによって破綻していきました。こうしたビルを買い集めたのが、その当時日本に進出し始めた外資系投資ファンドです。金融危機が、日本の不動産マーケットに彼らを呼び寄せるきっかけになったことは間違いありません。この頃から、平成12年の米国のITバブル崩壊、平成13年の9.11同時多発テロで外資系企業の勢いが停滞するまでの数年間、彼らの活発な活動は継続していきました。また、こうした外資系投資ファンドの登場と、海外の合理的な契約形態である定期借家契約の施行がほぼ同じ時期であることなども、興味深い市場の側面といえるのではないでしょうか。

IT企業から始まったオフィス構築の動き ワーカー1人当たりの面積が大きく拡大

平成12年~13年頃

平成も中盤、金融危機のダウントレンドを脱する原動力となったのは、まずはIT企業を中心とした動きでした。これらの企業では、デスクトップのPCが1人1台は当たり前ですから、従来のグレーの事務机が島型に並ぶレイアウトから、より大きなサイズのデスクが必要とされました。加えてプリンターや複合機などの周辺機器も導入され、それ以前よりも1人当たりのスペースが広がっていったのです。また、同じように業績が好調だった多くの外資系企業は元来、1人当たりの執務スペースが広く、個室も多くなるので、より大きなオフィスを必要としていました。こうした動きはIT企業から通信、商社、重厚長大産業、そして金融と徐々に広がっていき、業績好調な企業が、新築ハイグレードビルにこぞって入居したため、空室率は下がり賃料相場も上昇します。フリーアクセスフロアが、必須のオフィス機能として積極的に採用され出したのも、この頃に開発されたビル群。それまでは、インテリジェントビルといいながらも3WAYフロアダクトが主流であり、PCの本格的な導入には不向きなものでした。

ITバブルに端を発する好況下、成長企業の台頭が顕著な一方、様々な業界で構造改革の波が発生し、その波に乗るものと乗り遅れるものの「勝ち組」と「負け組」の二極化がキーワードになったのがこの頃。そのため、都落ち移転などと揶揄される郊外への集約移転を余儀なくされる企業も散見されました。また、この景況感は長くは続かず、先に記した米国ITバブルの崩壊と、あの忌まわしい9.11同時多発テロの勃発からアメリカ系外資企業の勢いが急速に凋落し、低下傾向にあった空室率は一転、上昇することとなります。

J-REIT発足に沸き2003年問題に揺れたミレニアム直後のマーケット

平成14年~15年頃

このような景気の山を経て、次にオフィスマーケットを騒がせたのが「2003年問題」です。平成7年以降はバブルの後遺症で新築ビルの供給は抑制傾向にありましたが、その後の「新・近・大」ニーズ急拡大の時の逼迫した床不足を境に積極的な土地の仕入れが行われ、結果的に大型ビルが大量供給される2003年問題に繋がったのです。この時は、ワンフロア500~1,000坪といった超大型のビルが大量に供給されることに加え、企業がそのビルに移転した後に発生する二次空室、三次空室の消化も懸念材料でした。それまで高額家賃を支払うテナントの主役であった外資系企業、および彼らとの取引をメインにしていた国内企業には経費削減ムードが漂っており、我々としてはターゲットが絞れないまま営業している状況だったことを克明に覚えています。しかし現実には、12001年の終わり頃から賃料が下落し始めており底値感が出ていたこと、2新規大量供給に危機感を持っていた大手オーナーが賃料のみならず条件面でも柔軟な対応でテナント誘致に臨んだこと、3景気トレンドは上昇傾向にあり特にネット系企業や不動産ファンドが活況にあったこと、4先にも触れた大型のハイグレードビルへの統合移転が本格化したことにより、新築物件への移転が活発になってきました。これに伴い、新築ビルは借りられないが、大手が移転した後に大きく空いた既存ビル、さらにその後の三次空室にも注目が集まるという流れができました。つまり従来のニーズである「新・近・大」に安さを加えた「近・新・大・安」がキーワードとなり、次第に2003年問題は沈静化していったのです。また、平成14年の「丸の内ビルディング」竣工における丸の内を中心とした大丸有、平成15年の「六本木ヒルズ」の開発など、複合施設を核にした、エリアマネジメントによる街全体の再開発が登場したのもこの時期でした。

もう一つ、この当時のオフィスマーケットで大きな話題となったのが不動産の金融商品化です。従来のビル開発は、デベロッパーが土地を仕込んで、自分で投資をして建設し、何十年という長い期間、家賃収入を得るというビジネスモデルでした。それが平成13年に立ち上がったJ-REITを契機に始まった流動化が活発になり、ビルオーナーが積極的にキャピタルゲインを求めるようになってきました。これにより、平成15年の大量供給後に発生した空室を有する中小ビルをファンドが買い取り、リニューアルで付加価値を高めテナントを埋めた上で高く売却するというビジネスモデルが登場することになったのです。

ミニバブルと呼ばれた高揚感 牽引役は日本進出を図る外資系金融機関

平成16年~19年頃

経済環境の回復から、平成16年頃を境にオフィスマーケットは好況に転じます。前年に大型ビルが大量に供給されましたが、採用の増加により6%を超えていた空室率が急速に低下。一般に、空室率は5%を下回ると借り手市場から貸し手市場へと変化すると言われていますが、平成18年に入る頃には、すでに3%を割り込むほどに回復していました。好立地・大プレート・ハイグレードビルほど床不足が深刻で、需給バランスが一気に逼迫する状況となります。

一時期の新・近・大への移転はもはや贅沢となり、拡張ニーズは館内増床や分室で凌ぐような状況。また、都心だけでなく周辺部にもニーズは拡大していきました。これに伴い賃料も急激に上昇。主要3区の大規模ビル賃料相場を見ると、2003年問題時の上限が3.5万円強であったのに対し、その後の5年間で6万円に届きそうな勢いにまで上昇していました。まさにミニバブルと呼ばれるような様相を呈していたのですが、この時のテナントサイドのメインプレーヤーは、規制緩和によって日本市場に参入してきた、外資系金融機関です。日本のビジネスの中心地である、大手町・丸の内に拠点を構えたい彼らは賃料競争を牽引。当時はまだ、大規模ハイグレードビルが希少価値を持っていたエリアでしたから、7万円/坪の賃料を払った企業もあると言われていました。

今、思えば異常ともいえる相場上昇でしたが、この背景には、過去、幾度となく上昇機運を迎えながらもその都度景気が失速し、賃料相場が比較的低廉に抑えられてきたことがあるでしょう。さらに、新たにオーナーとなった外資系投資ファンドが、ビルを高く売却するために賃料を上限まで引き上げようとしていた点も大きいと思います。この時期、テナントにしてみれば移転したくても空きがなく、「契約更新で20~30%の増額改定は当たり前」という強気なオーナーも数多く登場しました。バブル時とは、ビルの規模もプレーヤーも違いますが構造は非常に似ており、それがミニバブルと言われた所以です。

ただし、市場でささやかれていた超高額な賃料は、例えば新築ハイグレードビルの新規募集の最後の1区画に、どうしてもそこを確保したいテナントが出したといったもので、マーケット全体から見れば一部の話です。大多数のビルストックの賃料相場が、同様に一気に上がったわけではないのですが、この「巷の高賃料の噂」が、沸騰相場を後押ししていたという一面もあったように思っています。

リーマンショックによる市場激震と東日本大震災を契機にした借り換えニーズ

平成20年~23年頃

こうした久しぶりの活況のなか、平成20年秋に市場を襲ったのが、米国サブプライム・ローン問題に端を発する、リーマンショックと呼ばれる世界金融危機です。あれからすでに10年が経過していますが、当時の社会環境については、いまだ記憶に新しいのではないでしょうか。あらゆる業界が、経済活動に大きな打撃を受けました。なかでも当時のオフィスマーケットを牽引していた、外資系金融機関が大きなダメージを被ったのです。すでに定期借家契約が一般化していましたから、すぐにオフィスを返すことはありませんでしたが、彼らの移転のたびに賃料が下落、空室率は上がっていきました。日本企業も株価が大幅に下落して業績が悪化したため、リーマンショック後は期を追うごとに同様の推移を辿っていきました。

経済環境が徐々に改善され、平成22年頃には景気回復の見込みが立ち始めていたものの、リーマンショックを契機に始まったオフィスマーケットの停滞は、平成23年まで続いていました。こうしたなかで発生したのが、2011.3.11の東日本大震災です。この大震災以降、空室が消化され始めるのですが、その引き金となったのは、もちろんビルの安全性でありBCPに対する意識の高まりでした。これまでも阪神・淡路大震災をはじめ、多くの大規模地震が発生していましたが、多くの企業が本社を置く首都東京に、これだけ大きな被害をもたらすことはありませんでした。この大震災が、より切実に安全で持続可能な執務環境を求めるきっかけとなったことは間違いありません。安全性の観点からオフィスの見直しを考えた時、当然目が行くのは新築ビルです。実体経済が回復基調だったこともあり、少しずつですが新築大型ビルに需要が戻り、賃料水準も回復していったのです。

大震災がもたらしたビル価値基準の変化と建て替えによる二次空室発生の抑制

平成24年~29年頃

こうした状況を受け、ビルの性能に対する要求が高まったのは言うまでもありません。BCP機能に特化したビルが商品化されるほど注目が高まり、制震や免震機能を有した新築ビルへの移転は今日においても続いており、賃料上昇にも繋がっています。

振り返れば新耐震基準が導入されたのは昭和56年(1981年)のことです。にもかかわらず震災前は、新たに借りようとするビルが新耐震かどうかを気にする企業は、さほど多くはありませんでした。まして耐震補強工事の実施など、仲介する我々の側でさえ説明する必要がなかったほどです。当社では、東日本大震災の後に初めてビル毎の非常用電源の有無を調べたのですが、導入しているビルはほんの一握りでしたし、あっても震災時に起きた計画停電のようなものには対応していない、機能があっても入居企業に有効性が認識されていないというのが実情でした。それほど低かったオフィスビルの安全性への意識が、震災を機に変化。地震に対して対策を施していない旧耐震ビルに入居する企業は少なくなり、そうした古いビルは、入居者がいなくなると解体して再開発される流れとなっています。近年、大型ビルの新規供給が続いていますが、こうした建て替えによる立ち退き移転により二次空室の発生が抑えられ、全体の空室率上昇が抑えられているといえるのです。

平成の時を経て、次の時代に求められる「働く場所」であるオフィスのあるべき姿は

平成30年~

今年4月に平成が終わり、5月から新元号とともに新たな時代が始まります。これまで平成の30年間を振り返ってきましたが、最後に少し、オフィス市場の今とこれからをお話ししておきましょう。

平成30年の東京の新規供給床は25万坪と、これまでの平均値である18万坪(H18~29)を7万坪も上回るものでした。さらに、今年は20万坪、来年には30万坪の新規供給が見込まれており、平成では体験したことのない大量供給時代に突入しているわけです。先程、旧耐震ビルの建て替えの話をしましたが、市場のビルストックの商品価値の差が大きければ大きいほどマーケットは活性化します。かつてのインテリジェントビル然り、広いフロアプレート然り、BCP対応然りです。そして現在のビルストックを見た時、2003年問題以降に竣工したビル群と昨今の最新スペックのビル群との差異は、程度の差こそあれ、ほとんどないと言っていいのではないでしょうか。「六本木ヒルズ」や「丸の内ビルディング」など、現在でも十分な商品価値を有していますし、それどころか、すでに築15年以上が経過しているにもかかわらず、いまだ最上級のバリューを誇っているのです。

オフィスビルのスペックは、平成のちょうど真ん中である15年頃から大きく変わったように思います。そして、様変わりしたビル群がマーケットに占める割合が高まれば高まるほど、広さや機能性、安全性の差を移転理由に、新築ビルが選ばれることがなくなるわけです。事実、オフィス仲介の肌感覚として、ここ最近のビル選択の要因は立地改善に回帰し、労働力不足を背景に、それがダイレクトに商品価値に繋がっていると感じています。

今後、新たに再開発できる大きな土地の獲得は難しいでしょうから、新築ビルは自ずと建て替えにシフトすることになるでしょう。立地を変えることができないのが不動産ですから、この時、駅前立地の既存ビルに対抗できるファクターをどうやって打ち出すのか。最近では、ビル内にラウンジをつくったり、コワーキングスペースを設置するといった動きがありますが、これなども一つのヒントでしょう。ただし、それが正解なのかどうか、まだ誰も答えられません。今後、企業はどのような働き方を求め、そのため、どのようなオフィスを選択していくのか。その道筋を照らすため、CBREとしても努力していきたいと考えています。

上記の記事の内容は BZ空間誌 2019年春季号 掲載記事 掲載当時のものです。

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