インフラジスティックス・ジャパン株式会社 代表取締役 東 賢氏
「東京2020」による交通混雑を見据え当初計画していた社員のリモートワーク。
従来の当たり前を見直し、新たなオフィスの価値を考える。
ソフト開発者向け製品で世界を リードするインフラジスティックス
当社はデザイン・開発・コラボレーションを加速するソリューションを開発する企業として、1989年、米国ニュージャージーで創業しまし た。以来30年以上にわたり、ソフトウエア開発者向け製品を全世界で提供する、グローバルリーダー企業です。社員数は200名程度ながら、当社の開発支援製品は米国Fortune500企業の多くで標準採用されているだけでなく、日本国内でも5,000社以上の企業様にご利用いただいています。
開発拠点がブルガリアのソフィアとウルグアイのモンテビデオにあるほか、日本法人と同様に、英国のロンドンとインドのグルガオンに営業拠点を設けています。日本法人を設立したのは2006年で、国内はもとより、オーストラリア、ニュージーランドおよび東アジアなどAPAC全域を管轄。営業、テクニカルサポート、マネジメントスタッフなど、計16名体制で事業を進めています。
私が入社当時、まだ社員は8名程で原宿にオフィスを構えていました。ですが、採用面やセミナーでお客様に来ていただく関係から、6年前に渋谷に移転。また、米国本社の場所が地方都市にあることもあり、人材採用の観点から以前から米国では各地に在宅で働く人材がおり、その例に倣い、日本でも女性の戦力化も目的の一つとして、早くから一部社員の在宅勤務を進めていました。
旧メンバーの業務は問題なし 新メンバーの教育には課題も
こういった社内風土から、実を言うと今年の夏は、新型コロナとは関係なく社員全員の在宅勤務を計画していました。オリンピックイヤーである今年は、開催期間中、交通機関の混雑などが予想され、そのため、会社にかかった電話を自宅でも取れるようにするといった仮想化を施すなど、準備を進めていたのです。そこに降って湧いたような新型コロナウイルス感染症流行のニュースが報じられたため、社員の安全確保を考え、初期段階である1月27日に、全社員の完全在宅勤務に踏み切りました。事前の準備がなければ、ここまで早く完全移行することはできなかったでしょう。
実際に始めてみると、1ヶ月ほどで業務に支障がないことがわかりました。というのも、当社は誰が何をすべきかというジョブディスクリプションや、それに伴う評価制度もかねてから明確。メンバー同士のコミュニケーションも、ツールとしてマイクロソフトの「Teams」など以前から使い慣れており、部署内で話をするための環境を自然発生的に構築して、皆が自発的に参加していったからです。
一方、オフィスであれば当たり前だった「最近どう?」といった雑談レベルのコミュニケーションがないことが気になりました。一緒にいれば何となく耳に入ってくる些細なもめごとやすれ違いが、まったく認識できないのです。そこで私個人としては、始業15分前の8:45からバーチャル会議室をオープンにして、「おはよう」という挨拶から始まるコミュニケーションを試みたり、他部署のミーティングに積極的に参加することを意識しました。
もう一つ、難しさを感じたのが新人教育です。実のところ、今年3月に採用した新メンバーにはリモートでしか会っていません。当社は基本的に経験者採用ですので、社会人としての常識やテクニカルスキルがあれば、あとは客先に同行してOJTを通じて当社のメソッドを身に付けてもらっていました。しかし、顧客先に訪問できない現在、セールスはもとよりデモンストレーションやコンサルティング、トレーニングはすべてリモートですので、肌感覚で感じてもらうことができません。事前準備の中で資料を見せながら詳しく説明し、終わったらまた確認しながら共有していくといった方法しか取れず、経験者だからまだ何とかなりますが、新卒採用では難しいでしょう。
そういった意味で、これまでも業務を言語化したり、教育プロセスを構築していたつもりでしたが、まだまだ不明確で、何となく空気を読むことで成立していた面も大きかったと反省しています。逆に、今後の大きな課題が明確化したという感じです。
オフィスの完全撤退を機に 待遇面の大幅改善を実施
当社では9月15日より、渋谷のオフィスを完全に撤退し、フルリモートワーク体制に移行しました。理由の第一はコスト削減という経営的なものですが、もちろん、一方的になくしたわけではありません。社員とは縮小か完全退去かをかなり話し合いました。執務室、会議室、顧客を招くセミナー室の三つの部屋を借りていたのですが、完全在宅で執務室はいらない、対面のセミナーができないのでセミナー室はいらない、ただ、家で仕事ができないこともありうるので、会議室は残しておいてほしい、という意見があり、会議室については2ヶ月間は解約を待ちました。その間、コロナ騒動が落ち着いたら週1で集まろうと言っていたのですが、週1が隔週になり、月1になり、はては集まるなら必要な時だけでいいとなり、集まる場所も会議室である必要がなくなり完全撤退に踏み切りました。つまり当社にとっては、オフィスは仕事の場ではなく、コミュニケーションのために集まる場としての意味しか持たなくなっていたのです。
この変化に付随して、手当の見直しを行いました。在宅勤務に移行しても交通費は払っていたのですが、そもそも仕事をする環境として、米国の本社と日本とでは住宅事情が違いすぎます。一言でいえば「住まいはオフィスではない」のです。場所がなくてリビングで仕事をしていたり、夫婦に加えて子供までがリモート授業をしているために、ネットが重くて動かないこともありました。そこで、通信環境の改善や、少しでも仕事をしやすい空間づくり、そして増えた光熱費に充当してもらうために、月々18,000円の在宅勤務手当を設けました。またオフィス解散時には、長時間仕事をしても疲れにくくするために、希望者全員に椅子や机を配ったほか、クッション・キーボード・マウスなども配布。手当以外では、例えば家で仕事をしていれば宅配の荷物も届くし、子供が泣くこともありますが、「これが当たり前のことなんだ」という意識を徹底しました。みんな、ミーティング中に荷物が届けば中座するし、子供を抱いたままの会議もOK。社内のみならずクライアントにもそれを伝え、ご了解いただくようお願いしています。
また仕事のON/OFFの切り替えの難しさを解消するために、Teamsで始業時間前には「さあ始めよう」とか、夕方6時頃には「そろそろ終わりにしよう」「今日1日お疲れさま」といったメッセージを書き込んで、メリハリをつける努力をしています。
失ったものを見極め 新たなオフィス像を考える
当社にとって、今後も永続的にオフィスがない状態が続くかと言えば、それはわかりません。例えば新型コロナウイルス感染症の流行が終息すれば、今のようなリモート主体の営業やサポートだけでは済まなくなります。固定化した場所があったほうが便利なのは当然です。そうなれば、必然的に対面でセミナーを開催できる場所を確保したくなるでしょう。
ただ、以前とはオフィスを確保するやり方が変わる可能性がありそうです。通常の賃貸契約は長期で借りることが前提ですが、今は数年はおろか、数ヶ月単位で状況を判断しなければなりません。ですから面積や期間など調整しやすい、柔軟なオフィス構築の方法が適していますし、現在も模索中です。もちろんセミナーなどはレンタルスペースでも可能ですが、やはり心情的には「私たちのオフィス」と言える場所が望ましいでしょう。
東京のオフィスを閉鎖したことは、各国のグループ内でもそれぞれの拠点の戦略的な意味合いを考えるきっかけになったようです。我々自身も、渋谷の街から受ける刺激とか、社員同士の何気ない日常的なコミュニケーションといった、今は気付いていないが、もしかしたら失ってしまったものがあるかもしれません。一度、失ってはじめてわかるものをきちんと見極めて、社員と共有しながら次に進んでいくことが重要でしょう。今まで何となくうまくいっていたことは、空間を共有する皆が、互いに空気を読んでいたから生まれていたものかもしれません。現在はそれを修正するために、言語化やプロセスの構築を目指していますが、この先、さらなる必要性が見えてきた時には、もう1度オフィスのことを考え直すことになるでしょう。