バブル経済の崩壊 1991年~
バブル経済というお祭り騒ぎは1991年には終焉を迎え、経済活動は急速に落ち込み、新卒採用を控える企業が後を絶たなくなった。このため、オフィス床の需要は次第に沈静化したものの、まとまった人員整理が行われたわけではなく、すぐさま急激な使用床面積の縮小という事態には至らなかった。しかし、これまでのように契約更新時の賃料増額改定などできるはずもなく、逆に、まずは減額交渉し、応じてもらえないなら移転も辞さないというテナントが増え、結果的に賃料も入居率も、時が経つごとに低下していく。経済環境の不透明さからテナントの借り控えが続く一方、バブル期に計画された大型オフィスビルが1992年以降も次々と竣工し、空室率が急上昇し借り手市場に移行。都心部の大型新築ビルでさえ賃料は3万円/坪~3.5万円/坪あたりで落ち着き、バブル崩壊から4年後の1995年頃に、賃料相場の底値感が漂うこととなる。
不良債権処理による国内金融危機 1998年~
1997年末に顕在化した深刻な金融危機により、「新・近・大」ニーズにより回復してきたオフィス需要は急速にしぼむこととなる。不良債権処理の長期化により、かつては護送船団方式と呼ばれてきた金融政策が崩壊し、大手の銀行や証券会社、生保が次々に破綻。高賃料を支えてきた金融業と外資系企業のうちの一角が崩れた影響は、極めて深刻であった。また、これは、ビルオーナーの形態が大きく変わる節目ともなった。生保会社はそれまで多くのビルを所有していたが、経営破綻により軒並み売却。また、銀行からの借り入れに頼ってビルを増やしていた老舗の中堅ビルオーナーも、この頃貸し剥がしによって倒産していく。こうしたビルを買い漁ったのが、その当時日本に進出し始めた外資系投資ファンドである。また、海外の合理的な契約形態である定期借家契約が、ほぼ同じ時期に施行されることとなった。
外資系企業の失速と2003年問題 2001年~
業績好調であったIT企業や外資系企業が牽引してきたオフィスマーケットは、2000年の米国ITバブル崩壊や、2001年の9.11同時多発テロの勃発から外資企業の勢いが急速に失速し、一転して空室率上昇となった。また、同時に「2003年問題」がオフィスマーケットを騒がせる。1995年以降、バブル経済の後遺症で新築ビルの供給は抑制傾向にあったが、その逼迫した床不足の顕在化を境に積極的な土地の仕入れが行われ、結果的に大型ビルが大量供給される2003年問題につながった。この時は、ワンフロア500坪~1,000坪といった超大型のビルが大量に供給されることに加え、企業移転後に発生する二次空室、三次空室の消化も大きな懸念材料となる。外資系企業の失速、国内企業にも経費削減ムードが漂う主役不在のマーケットにおいて、既存ビル入居企業の引き留めとテナント誘致合戦が激化した。
リーマンショックによる世界金融危機 2008年~
リーマンショックではあらゆる業界が大きな打撃を受けたが、なかでも当時のオフィス市場を牽引していた、外資系金融機関が大きなダメージを被った。すでにハイグレードビルでは定期借家契約が一般化しており、すぐに床を解約することはなかったが、借り換えのたびに賃料下落、空室は増加。2008年の新規供給は当時大部分が内定済みであったが、同年中に約9万坪の空室が発生した。日本企業においても、大企業の移転は建て替え立ち退きや企業合併等の、必然性・緊急性の高いものに限定される。中小企業にはコスト削減ニーズが増加するも、条件にマッチする物件がなく需要は潜在化していく。都心部ほど、ハイグレードなほど空室が増加し、企業誘致の際は思い切った条件を提示するオーナーと無理に賃下げをしないオーナーとに二分。預託金の返金能力について、与信を問われるケースまでもが発生した。