ファーストリテイリング、出店開発チームリーダーに訊く
株式会社ファーストリテイリング
出店開発部 出店開発チーム
日本・韓国担当チームリーダー 大野 亮 氏
ユニクロの成長エンジン、大型店戦略
弊社が「ユニクロ第1号店」を広島県広島市に出店したのは1984年のこと。以降90年代は、日本のモータリゼーションの進展と消費形態が街中から郊外へと変化していくのに合わせ、郊外型のロードサイド店を中心に多店舗展開を進めてきました。当時は売場面積130坪~150坪の店舗を"標準型"として、それが当てはまる立地を探して出店。手法としては、リースバック方式を活用することでコストを抑え、短期間に大量な出店を行っていったわけです。その後、ショッピングモールやネバーフット型ショッピングセンターの増加に伴い、商業施設への出店も加速していきました。
2004年頃からは、立地創造型開発の時代に入ります。これは、それまでのように標準型の店舗に合った立地を探すというよりも、まず商売に適した立地を確保し、それに合うユニクロの出店形態を開発していくという考え方です。280坪~350坪の標準型店舗が中心ですが、例えば駅ビル内の超小型店舗などもこの時期に開発されたものです。
このように、時代とマーケットの変遷とともに試行錯誤を経ながら店舗開発を行ってきたのですが、今、一番可能性があると考えているのが500坪以上の大型店舗です。そこに行けばユニクロの商品がそろっているという、商圏の核となる店舗を出店。商品ラインナップの充実とともに、マネキン等を活用したビジュアルマーチャンダイジングによるコーディネート提案にも注力し、お客様にとって買いやすい売場作りを目指しています。現在、このような大型店は国内に102店舗(2010年8月期末)で、売上高の2割を占めるようになっています。
世界へブランド発信するグローバル旗艦店
2006年からスタートした、グローバル旗艦店の展開。ニューヨークのソーホー地区を皮切りに、ロンドン、パリ、上海、そして今回の大阪・心斎橋と、現時点で5つの旗艦店をオープンさせています。グローバル旗艦店は、規模としては大型店のさらに倍の1,000坪クラスで、ユニクロのブランドを全世界に向けて発信する店舗として位置づけています。そもそもグローバル旗艦店を展開するようになったのは、海外進出初期の失敗がきっかけでした。
一番初めはUKに進出したのですが、当時21店舗にまで拡大したものの、なかなか業績が上がらず、1年半後に5店舗にまで縮小しました。その原因を社内で検証したところ、ブランド認知が不足していたために、ユニクロの商品の良さを伝えられなかったことが最大の理由だと思い至ったのです。ブランド認知を高めるには、その国の"一丁目一番地"に圧倒的に存在感のある店舗を作る必要があります。そうすることで、例えばマスコミの注目度が高まり、我々が発信できる情報量も圧倒的に増加します。ブランドポジションを明確にすることで、H&M、ZARA、GAPといったグローバルリテーラーとも戦うことができるでしょう。 加えて、その国のみならず周辺諸国にもユニクロのブランドを発信していける店舗が、グローバル旗艦店なのです。
今回、日本にグローバル旗艦店を出店する目的は、アジア諸国に向けたブランド発信にあります。我々が将来的にグローバルでナンバーワンになるためには、まずアジアでナンバーワンにならなくてはなりません。日本はアジアのファッションの拠点です。シンガポールやタイ、香港などのデベロッパーの方と話をすると、彼らは東京や大阪など日本の名だたる立地に非常に注目しています。我々が日本に旗艦店を持ち、そこから情報を発信していくことは、非常に重要なことだと考えています。
グローバルリテーラーが競合するファッション発信地・大阪心斎橋
日本における旗艦店の出店については、2007年頃から構想としてありましたが、それが具体化するのは、実際に物件確保に目処がついてからです。AIGが建て替えを予定していた心斎橋のファッションビルへの入居が決まった時点から、今回のプロジェクトがスタートしたといってもいいでしょう。
心斎橋は、ユニクロがかつて初の大型店を出店した場所であり、ユニクロ大型店戦略の原点ともいえる地です。また、オープニングセレモニーで柳井(社長)も話していた通り、大阪は消費者の目が厳しい土地柄でもあります。価値のあるモノにはお金を払いますが、価値のないモノには払わない。そういった場所で、我々の今の姿や提案が認められることは大きな意味があると考えました。また、出店にあたっては、周辺の商業集積も強く考慮したポイントの一つです。近隣にどのような店舗があるかによって、立地の良し悪しは大きく変化します。同地は、隣にZARAが出店しており、近くにはパルコ、ロフト、大丸百貨店がある。また、戎橋にはH&Mも出店しています。ファッションの発信地としては申し分ない立地と言えるでしょう。
そして、その立地で具体的にどのような店舗を作っていくのか。旗艦店戦略のスタートとなったソーホーとも、パリや、直近に開業した上海の旗艦店とも違う、心斎橋ならではの店舗を作っていくことが必要でした。クリエイティブディレクターの佐藤可士和氏にトータルプロデュースを、デザインディレクターの片山正通氏に店舗プロデュースを、建築家の藤本壮介氏に店舗・建築デザインを、照明デザイナーの戸恒浩人氏に照明デザインを依頼。とはいえ賃貸ビルへの入居ですから、我々がすべて自由にできるわけではありません。
すでに建築設計や竣工までのマスタープランが決まっているなかで、グローバル旗艦店として我々が表現したいものをどれだけ実現していけるのか、時間や法律、物理的な制約との闘いだったと言えます。プロジェクトのスタートから完工までの期間は約1年半。貸主であるAIGや平和不動産、仲介役のシービー・リチャードエリス、大林組には大変な無理を聞いていただきました。
現時点で一番新しいユニクロを表現する
グローバル旗艦店としての店作りで、我々がこだわった点の一つはその外観です。今回、日本の建築物では初めてETFEフィルムを採用し、絶えず空気を送り込んで膨らませることで立体的な外壁を表現するとともに、内蔵されたLEDによって色とりどりのライトアップを可能にしています。このETFEフィルムによって本来の建物の外観はすべて覆い隠され、まさに「建築が服を着ている」ようなイメージになっています。賃貸ビルの外壁を借り主サイドがデザインすることは通常でもありますが、外観を覆い隠してまったくの別物に見せてしまうやり方は、私の経験上でも初めてのことでした。
結果として、世界にブランド発信するグローバル旗艦店、また心斎橋の新たなランドマークに相応しい近未来的な外観を手に入れることができたのですが、当初からこの手法ありきでプランが進んでいたわけではありません。様々な制約の中からこのようなアイデアが生まれ、そのアイデアの決定や実施過程には、先ほども述べた通り、時間や法律、物理的な面から解決すべき問題が山積。それらを一つ一つクリアしていくのが最も苦労したポイントです。
もう一つ、弊社のグローバル旗艦店へのこだわりが表れているのが、エントランスの吹き抜け空間。天井の高い吹き抜けをつくり、そこにマネキンが宙を飛ぶ「フライングマネキン」を演出。ファッションコーディネートされたマネキンが宙を舞い、動いている。グローバル旗艦店として他のどの店舗にもできないこと、しかも圧倒的なインパクトをもった演出を狙ったのです。ただし、そのためには、施設のフロアの床を抜いてもらう必要がありました。貸主としては耳を疑う要望だったかもしれません。しかし、グローバル旗艦店としてはどうしても必要だったこと。当社のわがままを聞いていただいて、本当に感謝しています。
これらのことは、新築の建物でかつ1棟借りだったからこそ実現できたと思います。例えばパリのように、既存の建物を利用した旗艦店では、別の意味で多くの制約が存在します。そういった制約から解放されたのが、前回の上海や、今回の心斎橋の旗艦店でした。いまこの時点での一番新しいユニクロを表現したのが、心斎橋のグローバル旗艦店なのです。
我々は、今後も世界中の主要都市にグローバル旗艦店を出店していきたいと考えています。