平成という世代を西新宿の街とともに歩み、
駅前立地の優れた集客力を活かし次の時代も乗り越えてゆく。
新宿エルタワー管理
代表取締役社長
藤井 祥三氏
世界最大の乗降者数を誇る、新宿駅前に誕生
新宿エルタワーは平成元年、新たな時代の幕開けとともに新宿駅西口駅前に誕生しました。当時はオフィス不足が叫ばれており、西新宿一帯でも、大型ビルの建設や開発計画が着々と進められていた時代でした。新宿エルタワーもその一つで、当時この地に駐車場やビルを所有していた朝日生命保険他2社、計3社の共同プロジェクトとして開発されました。新宿エルタワーの開発にあたっては3社が知恵を絞りあい、それまでのオフィスビルのイメージを覆すインパクトのあるインテリジェントビルを目指そうと、一致団結したと聞いています。新宿エルタワーの名称となっているL字型の平面形態もその結果生まれたものとのことです。それまで昭和に建てられた大型ビルの多くは重厚なイメージをまとっていましたが、この新宿エルタワーはガラスを多用し、自然光が差し込む明るく心地よい空間づくりを意識して設計されています。ビル名に社名を冠していないことも、当時の西新宿としては珍しいでしょう。また、新宿エルタワーは特区として開発が進められ、行政のお力添えのもと、西新宿の街づくりという側面も持っていました。そのため新宿駅から地下道でつないだほかにも、道を挟んで位置する小田急ハルクに架けられていたペデストリアンデッキを3社の協力で延伸し、タワーの利用者や街の通行者の回遊性を確保しました。世界最大の乗降者数を誇る新宿駅に地下と地上で直結しているのは、新宿エルタワーの強みの一つですし、このタワーの中やデッキを通って他のビルに向かわれる方々を見ると、竣工から30年を経た今も街と共存し、当時意図された街づくりに大きく貢献できたのではないかと思っています。
竣工当時はバブル経済真っ只中だったこともあり、満室状態でスタートを切りました。高層階をオフィスフロア、低層階を銀行や証券会社などの来店型店舗、地下を飲食店街と、フロアの用途を分けることとしました。最上階には、サンスカイルーム(三幸株式会社が運営)の名称で貸会議室を設け入居テナント様をはじめ多くのお客様にご利用いただいております。地下の飲食店街は、ビルの利用者以外の方にもご利用いただこうと、雰囲気が良く価格もリーズナブルな店舗を条件としたところ、この考え方に共感された多くのテナント様にご出店のお申し出をいただきました。美味しい料理に定評のある高級和食店やステーキハウスもありました。また、新宿駅前の立地の良さからでしょうか、オフィスビルにもかかわらず、競合する同業の企業が来店型のショールームをそれぞれ開設したことなども印象に残っています。
時々に変遷する市況の波を経験して
当タワーの誕生後も西新宿では大型ビルの建築ラッシュが続き、平成2年12月には東京都庁舎が竣工し、翌年4月に丸の内から機能を移して業務を始めました。この頃に起きたのがバブル経済の崩壊です。駅前で、利便性が良いという利点を最優先に考える入居希望者が減少してきたように感じました。他ビル同様に当タワーも従来以上に創意工夫を凝らしてマーケット開拓を推進する契機となりました。また、入居テナント様とのリレーションをさらに強化し、当タワーの入居にご満足いただけるよう強く意識してビル管理運営を行ったものでした。
新宿エルタワーは新宿西口エリアを象徴するビルとしてバブル経済時に誕生しました。バブル経済崩壊後、平成7年には南口初となる超高層ビルの新宿マインズタワーが竣工し、翌年にはタカシマヤタイムズスクエアが営業を始めます。ライバルとなるオフィスビルが建っただけでなく、南口は新宿駅から都庁まで地下道でダイレクトに行けるようにもなりました。当然、人の流れにも変化が見られるようになり、新宿は西口エリアのみならず、南口エリアでも賑わいが感じられるようになり、新宿全体として街に奥行きと深みが増したように感じました。以降、新宿エルタワーは新宿駅すぐ目の前という極めて集客力の高い立地特性を活かし、人材サービス業や各種専門スクール、メーカーのサービスカウンターといった業態のテナント様にも数多くご入居いただくことになりました。
景気回復の兆しが見られるようになると、新たにご入居いただくテナント様の賃料も徐々に上昇傾向が見られるようになりました。そして平成20年になると、新宿エルタワーの隣に近未来的なシルエットで注目されたモード学園コクーンタワーが竣工します。このとき西口エリアの再生を計画していた行政のご指導もあり、新宿エルタワーとコクーンタワーの地下道を接続することになりました。街の価値を高めるためには、各ビルの利用者や他の通行者の利便性を良くし、街の回遊性を高めることが何よりも大切です。コクーンタワーの地下には大型書店がオープンすることが決まり、新宿エルタワーの地下の飲食店街にも人が立ち寄りやすくなるなど、西口エリアの回遊性の拡張と街の再活性化に協力することができたように思います。ただし、この平成20年は、リーマンショックが起き、世界的に金融危機が広がった年でもあります。当時、私ども新宿エルタワーも空室が散見される状況となり、このような状況が平成26年頃までしばらく続きました。
私どもとしては、この機に大がかりな空撮を取り入れたビルパンフレットを制作し、新宿駅前の立地を訴求しようとマーケットに対する積極的なアピールを続けました。また、地方の企業の東京進出を促そうと、全国の自治体の東京出張所はもちろんのこと、時には各地の県庁や市役所の産業振興課などに直接顔を出して、新宿エルタワーの宣伝をして回ったことなどもありました。
変わりゆく時代を、新宿駅西口という巨大な街とともに歩む
時代の浮き沈みを背景にテナントが変遷してきた新宿エルタワーですが、一方でその間オーナー企業にも移り変わりがありました。平成元年の竣工時には3社による所有でしたが、その後4社に増えた時期を経て、平成21年には三信と朝日生命保険、2社の共同ビルとしてリスタートすることになりました。それまでの3社体制でもお互いコミュニケーションや連携は取れていましたが、オーナーが2社に絞られたことで、より関係が密になり、意思決定に要する時間が短縮され、ビル運営がさらに加速度を増して行われるようになりました。それまでテナント専用に貸し出していた地下駐車場を一般車両に時間貸しするようになったのもこの年です。マーケットリサーチの結果、新宿エルタワーの立地特性ゆえか、定期貸しに加え時間貸しのニーズが多かったようです。この状況を踏まえ、200台を越える駐車スペースのうち半数以上を時間貸しとすることを決断しました。今ではその稼働率も上がり、テナント・一般車両ともに多くの方からご利用いただいております。
また、2社体制となってから経験した大きな出来事といえば、平成23年3月11日の東日本大震災です。新宿エルタワーもそれまで経験したことのない対応を迫られました。節電対応では、照明や空調の使用を抑えるなど、共用部分を中心に取り組み、各テナント様にも節電のお願いに回りました。世間では企業のBCP対応が話題に上るようになり、万一の災害に備え、臨海部のオフィスを新宿などのビジネス街へ移転させた企業もあったと聞きます。それまでは高層階が人気だった新宿エルタワーも上層階に比べると揺れが少なく、避難もしやすい低層階が一時好まれるようになりました。
振り返れば当然のことですが、新宿エルタワーの歴史は平成という時代、そして西新宿という街とともにあったように思います。竣工時はモダンかつハイスペックなインテリジェントビルとして注目された新宿エルタワーも昨年誕生から30年を迎えました。数年前には利用者に温かみと清潔感を感じてもらえるようトイレのリニューアルを行ったほか、竣工時から導入している地域冷暖房は、各テナントに効率よく快適な空間をお届けし、高層ビルが密集する西新宿のエコロジーにも貢献し続けてきました。平成という時代は幕を閉じますが、私ども新宿エルタワーは次の時代もこの西新宿に寄り添い、寄り添われ、ともに未来へ向かって歩んでいく所存です。