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地元デベロッパーの東洋海事グループ松田氏・田山氏・堀内氏が語る“マッカーサー道路”

都市別特集

2014年3月14日

東洋海事工業株式会社
業務部 経営企画室
課長 松田 篤史

サンブリヂリアルエステート
株式会社

営業部 営業管理・開発部
課長代理 田山 達彦

サンブリヂビルテクノ
株式会社

ビルマネジメント部
ビルマネジメント課
課長 堀内 俊成

東京進出を期に 海運業から不動産業へ

当社は1943年、山口県の下関市において、海運・サルベージ・倉庫業を営む企業として創業しました。その後、当時の運輸省に程近い港区西新橋に支 店を構 えることで東京に進出し、1951年には本社機能を東京に移転させるとともに、大きな発展が見込まれた新橋の地において不動産業にも乗り出しました。現在 では、2011年に開業した「モメント汐留」をはじめ、都内に15棟のビルを保有していますが、そのうち13のビルがこの新橋・虎ノ門エリアに集中してい ます。今回「新虎通り」と名付けられることになったマッカーサー道路開発の沿道にも、3棟のオフィスビルを所有・運営しています。当社では、海を進む船舶 を整備するノウハウは、陸上での施設管理を含めたビル経営においても相通ずるものがあると考え、その理念は不動産業進出以来、今日においても受け継がれて います。

反対から協調への転機となる 住民による「街づくり」の提言

ご存知のように、「マッカーサー道路」と呼ばれていたこの計画は、戦後30年を経過するなか計画だけが残り、行政にも一向に実行に移す気配が見ら れず、計画地や周辺で生活する地元住民や企業を中心に、廃案を訴える声が大きくなっていきました。30年程前でしょうか、当時のマスコミが同地を上空から 撮影し、東京の中心地に戦後さながらの街並が残る異様さと、同時に建て替えも禁じられ生活設計が成り立たないと困り果てる地元住民の声を伝え、「行政は何 をやっているんだ」という論調で報道されたこともあります。ただ、行政も地元住民・企業も、賛成派も反対派も中立派も、お互いに反目し話し合いを拒むので はなく、まずは同じテーブルに着き、計画の是非、地域の再建と将来について真剣に議論しようとする場ができあがってきたのも同じ時期でした。議論を続ける なか、1989年には道路法、都市再開発法、建築基準法の一部改正で創設された立体道路制度を活用し、同地で引き続き生活をしたいという権利者の皆さんの 願いを叶えることができるようになりました。「まちづくりを考える住民・地権者有志+環状2号線廃案促進対策委員会」による「まちづくりから環状2号線整 備への提案(1995年2月)」及び「環2まちづくり研究会」による「まちづくりから環状2号線整備への提案・2(1996年6月)」を発行した頃は、 2002年の都市計画提案制度の創設以前のことで、民間から行政へ提案ができる仕組みがありませんでしたが、上記の2度にわたる提案を基に行政とも協議を 重ねてきました。他にも、土地や建物の評価や建築条件等、様々な課題がありましたが、地元の人々の文字通り生活と生命を懸けた訴えに、行政が真剣に応え歩 みを重ねたことで、今年の本線開通に至ったと言えます。

「新虎通り」の名称決定まで、この道は「マッカーサー道路」と呼ばれてい ま したが、以前都の担当職員から聞いた話では、GHQ占領下で本道路が都市計画決定される1946年以前、関東大震災直後の第2次山本内閣の内務大臣兼帝都 復興院総裁、後藤新平の立案した震災復興計画の中に、現在の環状2号線とほぼ同じ位置に幅員100メートルの道路計画が盛り込まれていたそうです。計画に は巨額の予算が必要なため、震災復興計画全体の縮小に伴いこれは実行されませんでしたが、1946年の都市計画決定は、戦後復興計画の1つとしての再出発 の表れだったと思います。しかし、1949年のシャウプ勧告による地方自治事務再配分勧告及びドッジラインによる財政支出の切り詰め方針で計画の再検討が 閣議決定されたことを受け、環状2号線の道路幅員は40mに変更されたうえ、その後、未着手のまま凍結されてしまいました。この話をしてくれた職員は、 「本計画を縮小したGHQのマッカーサー道路と呼ぶよりも、オリジナルの『後藤新平道路』とした方が、日本人としてはイメージが良いのでは」と言っていま した。仙台藩出身の後藤新平により関東大震災復興のため計画された道路が、東日本大震災からの復興に全国一丸で尽力している今開通する。街づくりにかかる 当社としては、先人への感謝と、現在と未来に対する使命と責任を肝に銘じずにはいられません。

長期的な視点で実現する 活気あふれる魅力的な街づくり

西新橋界隈は「サラリーマンの街」あるいは「オジサンの街」と言われながら、虎ノ門・内幸町のような官庁街、あるいは日本橋・大手町のような金融街という特定のイメージがないエリアです。いわば、その多様性こそが魅力と言えます。また、アジアヘッドクォーター特区にもなり、外国人が増えるなど、その多様性はますます高まるでしょう。その中にあって環状2号線周辺は、開催が決定した東京オリンピックの各会場や施設を結ぶ重要な機能を担うわけですから、新虎通りが注目を集めることは間違いありません。しかし、「通り」や「エリア」が活性化するには、そこに人が歩き、集い、賑わい続けることが重要です。そして、その基本となる街並を形成する建物には、人々が利用して「動的変化」するものと、大切に保存すべき「静的変化」の望まれるものがあり、それぞれの時間軸で変化していきます。また、そこで暮らす住民や就業者も、様々なライフスタイルを持ちながら、それぞれの時間軸を持って生活しています。これらのスタイルと時間軸が合致して、地域全体が「魅力ある街」となるには、50年、100年という時間は決して長いものではないと思います。

新虎通りの車道は今年の3月に交通開放される予定ですが、再開発の目玉である幅員13mの歩道部分の整備には、しばらく時間がかかるそうです。昨年、「エリアマネジメント協議会」が発足し、ようやく地権者やビルオーナーベースの話し合いが始まりましたが、まだまだこれからというのが実情です。また、街並のリニューアルを「建築物」という視点だけで捉えると、その時々の要求に応じるだけの短絡的なものになりがちです。永く魅力的な街であるためには、交通網の整備や平面的・立体的な地域内動線の確保など、建築物が将来的な街の変化にいかに対応するかを模索するといった試みも必要でしょう。加えて、人々のコミュニケーションをソフト面で高める努力。古臭いかもしれませんが地域のお祭りなど、永く愛着の持てる街づくりには欠かせないものです。コミュニティの更新性、継続性の向上を図り、NPOや町内会、エリアマネジメント等も活用しつつ、地域で生活する人々の心が繋がる街づくりを考えていきたいと思います。すでに、江戸職人文化を実体験する大人(オジサン)のキッザニア「オッザニア」を街で展開し、エリアの人々を結んでいこうというアイデアも出ています。

将来のニーズの変化に対応できる 柔軟性に富んだビル運営を目指す

当社は、不動産事業の開始当初から1棟1棟のビルをきめ細かに運営し、いわゆる街の再開発を担うデベロッパーとは一線を画しています。一方、新虎通り沿いに保有する6東洋海事ビルは、建設時やリニューアル時に環状2号線開通を視野に入れ、通り側に出入口を設けています。ですから、今後も一気にスクラップ&ビルドを行う予定はありません。とはいえ昨今、街の発展を見越した増床目的の移転が増えており、このビジネスチャンスを逃す手はありません。こうした状況を踏まえ、オフィスとして現在求められる機能を備え防災性能の高いビルであることはもちろん、将来のハード・ソフト面におけるニーズの変化にも、適宜、柔軟に対応できる更新性、リニューアル対応のし易いビルの実現に努めていきます。

また、先に述べたソフト面での防災展示会や夏祭りなど、街づくりイベントを積極的に運営し、地域の方々に喜んでもらえるビルになりたいと思っています。こうした活動を通じてエリアの価値が上がれば、当社もその恩恵を受けることができるのではないかと期待しています。視野を広く持ち、お客様や地域の方々を含むあらゆる関係者のニーズを把握し、そのニーズに対し迅速に応えるビルを運営し、提供する意識を高く維持することが、当社の課題であると考えています。

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上記の記事の内容は オフィスジャパン誌 2014年春季号 掲載記事 掲載当時のものです。

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