企業の多くは、発展していくと従業員が増え、それに伴ってオフィスも手狭になります。そして、一つのビルに収まることができなくなり、別のビルのフロアを借りて、分散的にオフィスを増やしていく傾向が見られます。また、昨今の企業統合や買収の結果から、結果的に複数のオフィスを抱えることになる場合もあります。新たにオフィスビルを建築したり、大きなビルのフロアを借りたりして、まとまって移転できれば良いのですが、優良な物件は競争状態が激しく、なかなか思い通りに新オフィスに移転できず、心ならずもオフィスが分散することもあります。
では、そのような時、オフィスの分散について、どのような考え方ができるでしょうか?
首都大学東京
システムデザイン学部
助教授 鈴木 敦 氏
1992年、東京工業大学大学院理工学研究科博士課程修了・博士(工学)。電気通信大学助手、東京都立短期大学助教授などを経て、現在、首都大学東京システムデザイン学部助教授。専門分野は経営システム工学。産業社会における物的および知的リソースの最適な配置を計画するための方法を、主に数理的な面から研究している。主要論文は「セル型設備配置問題のための進化的なアルゴリズムによる解法」「都市部における事業所分散立地問題の解法について」「情報サービス産業における事業所立地と交通機関の関係について」「コンピュータ統合事業システムの多基準評価に関する研究」など。
コスト低減と制約条件
一般に、オフィスのコストを考えることが多いかもしれません。例えば、予算の上限があるとか、経費節減のチャンスとして方針が示されるなどです。しかし、仕事をする場であるオフィスは、コストの低いところが良いとは限りません。大事なのは、いっそう良い仕事ができると思われる場所に移ることです。コストは低いけれども、仕事が停滞してしまっては、企業の業績にもかかわります。だからと言って、お金を無限にかけられる訳ではありません。コストは低い方が好ましいのは事実です。
そこで、まず、何を守らなければならないか、をハッキリしておきましょう。これを「制約条件」とも言います。例えば、従業員一人当たり何平米の面積が必要であるとか、役員室や会議室はいくらの面積がまとまって必要であるとか、情報システム部門はコンピュータを置く上で必要な電気や空調などの設備が必要である、などです。これらの制約条件を守った上で、コストが低くなるような分散の仕方を考えます。
スループットが多くなる場所は?
経営資源と言えば「人」「もの」「お金」と言われてきました。近年は「情報」や「知識」も経営資源だと言う人もいます。私は、それに加えて「場所」も資源の一つに考えてみてはどうかと思います。
特にオフィスワーカーの仕事は、経営管理や知的業務、事務作業など、どれも人間の要素が大きく関係します。どんな場で仕事をするかによって、仕事ができる量(これを「スループット」と呼ぶことにします)が変わってきます。
できれば従業員一人ひとりに、移転候補先のどのオフィスなら、今のオフィスより何パーセント増しぐらいのスループットを出せそうか、アンケートなり、聞き取り調査をしたいところです。無理なようなら、部署ごとに平均的な従業員を何人か選んでもらい、サンプルとして調べることも考えられます。それをもとに、今の生産性がどのぐらい向上または低下するかを予想します。本当に生産性が上がるかは、移転しなければわかりませんが、少なくとも全体として低下することは避けねばなりません。個人ベースで見た場合、どのぐらいスループットが変化するのか、目安を把握しておくことになります。
一緒に働くこと?協働性という考え方
多くの仕事は一人で完結するものではありません。いろいろな部署の人と情報の受け渡しがあったり、集まって話し合ったりして進んでいく仕事も多いはずです。最近は、情報ネットワークが発達して、コンピュータの画面を見ながら、近くの人ともメールでやり取りして仕事を進めていくことが増えたかも知れません。しかし、すべての業務を週5日とも在宅勤務に切り換えることは、しばらく、できないでしょう。
そこで、一緒に働くことの効果を考えておく必要があります。これを「協働性」と呼ぶことにしましょう。どの人とどの人が、というレベルまで把握できれば好ましいですが、無理なようなら、どの部署とどの部署が、というくくりでも良いでしょう。そして、オフィスが同じ場所か、あるいは異なる場所かで、その協働性がどのぐらい影響を受けるのかを大体の数字に表し、同じようにスループットの変化で表してみます。
部署や従業員によっては、個人ワークが多く、あまり協働性を考えなくとも良い場合もあるでしょう。その一方で、常に様々な人と会って営業的な業務を行ったり、ミーティングなどで新しいアイデアを話し合ったりする部署や従業員もあり得ます。そういった部署や従業員を、うまく一緒のオフィスにしたり、それほどではない場合は別のオフィスにしたり、考える必要があります。
また、社外の人と会うことが多い業務を担当する部署や従業員にとっては、出かけやすく、来客も受け入れやすい場所にオフィスがあることが重要になります。これも社外との協働性として、見ておく必要があります。
このような内容は、人事部門が扱う仕事だと思う方も多いことでしょう。しかし、オフィスの移転は、単なる入れ物の変更にとどまりません。このような人的な資源の問題にも関連するので、できるだけ分野横断的なプロジェクトとして扱うべき問題です。オフィスの建物や部屋の問題だけではなく、従業員の士気にも関わることであり、スループットを変化させる要因でもあり、結果的に企業の業績にも関わってくることだからです。
交通機関と情報ネットワークの考慮
オフィスが分散すれば、当然のことですが人の移動が起こります。この場合の移動は、旧オフィスから新オフィスへの引越しのことではなく、新オフィスに移ってからの業務で発生する移動のことを指します。具体的には、通勤、出張、打ち合わせや営業のための移動があります。
分散オフィスの問題点は、複数あるオフィス間の移動がある程度生じてしまうことです。従業員によっては、長距離通勤になる人も出てくるでしょうし、業務のための移動で時間をとられる人も出てきます。例えば本社に集まって会議をする場合、分散したオフィスからの移動も増えることになります。重要な取引先への訪問のための移動も変わるかもしれません。また、深夜の残業のためにタクシー代などを出している場合は、その費用も少なからず影響があるかもしれません。こういった交通費は、通勤手当以外にも考えておくべきでしょう。また、移動時間が業務に差し支える場合は、その時間の人件費に換算してコストとしてみることも考えられます。
全国に取引先があり、長距離の出張が多い部署は、フットワークが良い新幹線の駅や空港の近くにオフィスがある方が、利便性も心理的にも好都合です。都心に本社機能と営業部門を配置し、郊外に開発や生産の拠点を置いている場合も、交通機関の関係を考慮しましょう。単なる移動時間だけではなく、乗り換え回数や相互乗り入れの頻度についても確かめておきましょう。
私がこれまで調べてきたシステム開発企業の立地では、横浜や大阪で、新幹線駅の近くにオフィスを置くケースと、旧来の都市中心部にオフィスを置くケースの二極化が見られます。つまり、主要取引先の所在によって、フットワークの良さを取るか、都市の中での利便性を取るか、の選択をしている訳です。
しかし、これから先、技術革新とともに、オフィスワーカーの世代交代に従って、情報ネットワークを利用する意識も変わることでしょう。つまり、あまり足を運ばずに、テレビ会議やネット会議で打ち合わせを済ませようとする傾向が増えるかもしれません。そうなってくれば、社内LANを整備しやすく、電力容量が十分確保され、ケーブルダクトやフロア配線溝などが備わった、いわゆるインテリジェントなオフィスを選ぶ必要があります。ネットワークの通信速度もグレードを上げた契約にする必要が出てきます。多少交通の便が悪くても情報ネットワークを優先するか、やはり人の移動のし易さを考慮するかは、その企業の勤務スタイルや営業スタイルによります。
数項目を考慮した意志として考える
以上のことから、次のような項目を考えるべきことがわかります。
- オフィスコストの低さ
- 個人あるいは部署の生産性の高さ
- 協働性の良さ
- 交通機関の便利さ
- 情報ネットワークの使いやすさ
どの項目を重視するかは企業によって異なります。各項目に重み付けをして、どの項目を重視するか、しないか、を明確にします。これは経営的な視点も必要ですから、企業全体を見渡して方向性を決める立場の役職にある人が、その重み付けに関わるべきです。複数の項目の重み付けが難しいときは、ピッツバーグ大学のトーマス・サーティ教授が考案した、階層分析法(AHP)という方法を使ってみるのも一つの手です。和書では、元政策研究大学院大学教授の刀根薫先生が書かれた「ゲーム感覚意思決定法」(日科技連出版社)が、入門書としてよく読まれています。
各項目の重要度を決めた上で、オフィス分散案を複数作成して比較し、評価してみましょう。オフィス分散案は、候補となるオフィス物件を取捨選択して組み合わせるだけではなく、各オフィスにどの部署が入るのか(あるいは、従業員の配置)についても、大まかでも方針があるものにします。ただし、分散の案は制約条件を守るものでなくてはいけません。
実際には、企業の事情によって、この他の項目も考慮することが必要になるかもしれません。また、上に挙げた項目でも、企業によっては、それほど重要視されない項目もあることでしょう。大事なのは、このような項目をできるだけモレのないように挙げて、それぞれの重要度を把握した上で、オフィスの分散案を複数作って評価し、最適な案を選択することです。それも、単に入れ物を確保する問題としてではなく、経営リソースの配置に関わる意思決定問題であるとの観点から、スループットとコストのバランスを考慮した全体最適を目標とする意識を、関係者が持つことが重要となります。