
シービーアールイー
藤本 隆博
日本企業の海外進出先といえば中国、というのは少々前の話。現在ではアジア新興国、特にインドへの拠点進出が増加している。インドが企業の注目を集める背景には、間もなく世界一になることが予測される12億もの人口に支えられた、巨大な市場がある。今号では、経済の伸長とともに拡大するインドのオフィスマーケットの現況と、近未来予測について取り上げる。
1はじめに
その広い国土、多くの人口、そして地域ごとに異なる文化からむしろ 「国」というより「大陸」である、と言われるインド。「BRICs」の一角として注目を集め、1990年代からの開放政策によりさらにその市場としての
存在感を示している。
2011年の実質GDPの対前年比成長率は6.5%。2010年の8.4%からは低下しているが、しかし依然成長を続けている。2015年には世界一になると予想されているその人口はおよそ12億人で、高齢化を迎える日本と比較して若年層が多く、さらに市場としての魅力が高まると期待されている。
その一方で、消費者物価指数は2011年には前年比で8.4%の上昇。インフレ傾向は続いており、また国を挙げて取り組むインフラ整備の行方や、国民の多くを占める貧困層への対策など多くの課題もある。
繰り返すが、日本のおよそ8.8倍の国土を持ち、それぞれが異なる文化や言語を持っている点で、「インド」は一括りでは市場を捉えられない国家である。特に不動産マーケットを理解するには、それぞれの地域や物件の特性を検証すべきだが、今回はオフィスマーケットの概観を通じてインドの不動産市況の全体像の把握を試みたい。
2オフィスマーケットを取り巻く環境
①全体概要(産業の特性)
インドでは、市場での事業機会確保を目指してMNCs(グローバル企業)の進出が相次いでおり、また国内企業も成長を見せている。多くの人口と伸びる消費力をターゲットにした製造業や、高い能力を持った若手労働力に魅力を感じるIT系産業など、幅広い業種がインドでのビジネスに参入、事業拡大をしているのは周知の通りである。また、インド政府が外資系企業の進出を積極的に促進していることも背景にある。
政府は製造業や金融関連などのいくつかの主要な産業にインドへの進出を促しており、さらにMNCs企業の進出に拍車がかかっている状態である。
グローバル企業のオフィス進出ランキング(2011)
国別ランキング
順位 | 国名 |
---|---|
1位 | アメリカ |
2位 | イギリス |
3位 | フランス |
4位 | 中国 |
5位 | ドイツ |
6位 | イタリア |
6位 | 日本 |
8位 | スペイン |
9位 | オーストラリア |
10位 | 香港 |
11位 | カナダ |
12位 | シンガポール |
13位 | インド |
14位 | ロシア |
15位 | アラブ首長国連邦(UAE) |
マスコミ・IT・通信企業の進出都市
順位 | 都市名 |
---|---|
1位 | 香港 |
2位 | ロンドン |
3位 | マドリッド |
4位 | ニューヨーク |
5位 | シンガポール |
6位 | サンパウロ |
7位 | 東京 |
7位 | 北京 |
9位 | ムンバイ |
10位 | ミラノ |
都市別ランキング
順位 | 都市名 |
---|---|
1位 | 香港 |
2位 | シンガポール |
3位 | 東京 |
4位 | ロンドン |
5位 | 上海 |
6位 | モスクワ |
6位 | 北京 |
8位 | マドリッド |
9位 | ドバイ |
10位 | パリ |
24位 | ムンバイ |
52位 | ニューデリー |
60位 | バンガロール |
79位 | チェンナイ |
94位 | コルカタ |
103位 | ハイデラバード |
109位 | 大阪 |
155位 | 名古屋 |
表1はシービーアールイー調査によるMNCsのオフィス進出の国別ランキングである。特定のMNCsの国別/都市別の進出状況を調べたものだが、インドはシンガポールに次いで世界13位にランクされていることからも、その進出が顕著であることが分かる。
ちなみにこのランキングで中国は4位、日本は6位であった。業種別に見た場合には、インドは「生産財・サービス」と「マスコミ・IT・通信」で世界のトップ10に入るなど、その特性が表れている。特に都市別に見た場合、「マスコミ・IT・通信」の分野で、インドのムンバイが東京・北京に次いで9位にランクされているのが象徴的である(表2)。また、都市別ランキングでは、日本の主要都市と比べ、インドの都市の順位が高いという興味深い結果となっている(表3)。
このように、製造拠点やIT系に代表される各種産業の拠点としての位置付けの高まりにより、ここ数年オフィス需要が急速に増加しているのが、インドのオフィスマーケットであると言える。
②各都市の状況
こうした状況のもと、インドの首都で政治の中心地であるニューデリー(New Delhi)とムンバイ(Mumbai)、バンガロール(Bangalore)を中心にMNCsの集積が進んでいる。インド北部のニューデリーは、政府機関など政治中枢機能が集積する政府直轄地である。人口はムンバイに次ぐ規模にあり、ニューデリーの中心地区(CBD地区)と周辺のグルガオン(Gurgaon)とノイダ(Noida)といった地域と共に、NCR(NationalCapital Region)を構成している。高グレードビルのストックはおよそ160万坪あるとみられている。
インド西部の都市ムンバイは、都市圏人口で2,000万人を超える世界有数の大都市である。インドを代表する金融都市としての性格を持ち、2つの証券取引所「ボンベイ証券取引所」、「インド国立証券取引所」があり、国内外の金融関連企業が拠点を構えている。
また、日本でもおなじみの「タタグループ」など、インド国内企業の本社所在地であることや、放送局などのマスメディアが集積している立地としても知られている。
CBD(Central Business District)地区やSBD(Secondary BusinessDistrict)地区など5つのサブマーケットでオフィス市場が構成されており、高グレードビルの貸室総面積はおよそ140万坪である。ムンバイを「インドで最初に拠点を構える都市」と評価する企業が多く、インドで最もMNCsが進出している地域である。
バンガロールはインドの南部、カルーナタカ州に所在し、「インドのシリコンバレー」と呼ばれるIT企業の集積地。IT産業向けの工業団地が複数あり、インド国内企業やMNCsが進出していることで知られる。またインド国内重工業の拠点でもある。
その他のMNCsの進出が見られる都市としては、バンガロールと同様に南部に位置し、IT産業と自動車関連企業の進出が多いチェンナイ(Chennai)、これもITとさらにバイオテクノロジーで知られるハイデラバード(Hyderabad)や、東部のかつての首都コルカタ(Kolkata)や西部の自動車産業の拠点であるプネー(Pune)が挙げられる。
3インドのオフィスマーケット
①インド全般の市況

表4:主要都市のプライム賃料と空室率
都市名 | プライム賃料(月額) | 空室率 | |
---|---|---|---|
ニューデリー(CBD) | 293INR/sqft | 15,400円/坪 | 4.3% |
ニューデリー(Gurgaon) | 115.6INR/sqft | 6,000円/坪 | 22.4% |
ムンバイ(Nariman Point) | 295INR/sqft | 15,500円/坪 | 4.7% |
ムンバイ(BKC地区) | 344INR/sqft | 18,000円/坪 | 20.8% |
バンガロール(CBD) | 102.1INR/sqft | 5,300円/坪 | 5.2% |
表5:アジア主要都市 賃料サイクル(2012年第2四半期)

インドへの参入企業の増加や、拠点の拡大の動きに対して、こうしたテナントの要望を満たすことのできるグレードのビルはわずかであった。そのため、希少性の高いオフィスビルの賃料水準は上昇している。そしてこのような状況を解消し、企業進出を後押しすべく、高グレードのオフィスビルの供給がここ数年、急ピッチで継続的に行われている。
2012年第2四半期(7~9月期)のインド全体のオフィスビルの新規供給量は、およそ25万坪であった。これらのほとんどは、NCR(ニューデリー含む)、バンガロール、ムンバイで供給された。
一方で、同時期のインド全体のオフィス新規需要量はおよそ20万坪弱であり、こちらも三都市での需要増加が中心になっている。ただ、この四半期間の需要増加は著しかったとはいえ、供給量には追い付かない水準であった。とりわけこれら新規供給は各都市の周辺部で行われる傾向があり、都心部の空室率が低水準であるのに対して、その他の地域では高い値を示していることが多い(表4)。
この三都市以外では供給を抑制する動きも見られており、都市やサブマーケット、あるいはビルごとに市況は異なる。しかしインド全体で見た場合、今後、需給バランスは軟化し、賃料水準にも影響が出る可能性が考えられている。
②各都市の市況
表5は2012年第2四半期のアジア主要都市の「賃料サイクル」を示している。これは各都市の賃料の見通しを市場サイクル上に位置付けたものである。この四半期では、アジアの賃料上昇を牽引してきたシンガポールや香港が賃料の低下局面にあり、また、東京が長い下降局面を経て「賃料底打ち」のポジションに到達したことが、アジアマーケットのトピックである。
ここではインドの三都市、ムンバイ、ニューデリー、バンガロールがいずれもサイクルの右サイド、つまり賃料上昇局面にあることに注目し、直近の市況の概要をまとめてみる。
■NCR(ニューデリー含む)
NCRでは今後も高い水準で高グレードビルの供給が続き、結果として都心部では移転の受け皿がなかったテナントの移転が顕在化するなど、需要を喚起することが期待されている。このように新規供給ビルにも需要が見込まれることから、ニューデリーのCBDでは依然、賃料は上昇局面にあると判断される根拠になっている。一方で周辺部では需給ギャップは拡大することが懸念されている。
■ムンバイ
ムンバイでは市況は地域ごとに異なっている。CBDでは供給は少なくそのためマーケットは安定しているのに対して、EBD(Extended BusinessDistrict)では供給が増加しているなど様々である。ムンバイでは大規模なオフィスビルの在庫が乏しく、テナントニーズに応えられない状況が続いてきたため、こうした要件を満たす大型ビルはテナントの需要を見込めるとみられており、高グレードビルが当面、賃料水準を牽引すると考え
られる。
■バンガロール
バンガロールでは、CBDやその他のオフィスエリアでもグレードの高いオフィスビルの新規供給が少なく、そのため企業の移転活動が沈滞化している。テナントは中規模ビルや既存のオフィスビルへの移転を余儀なくされており、こうした移転事例が散見されている。
今後については主要産業であるIT関連業種が、経済の先行き不安からオフィスの移転や拡張に対して慎重な姿勢をとり始めているが、州政府はインフラ整備などの経済対策などによって地域の活性化を図ろうとしており、今後のオフィス需要に好影響を与えるものと期待されている。
4まとめ
インド全体で捉えると、当面は新規供給の増加によって需給ギャップが拡大し、賃料の上昇ペースも落ち着きを見せていくものと思われる。
ただし、前述したように主要都市でも都心部とそれ以外の地域では市況に大きな隔たりが見られることから、その点には注意が必要である。
中国と同様、インドも巨大なマーケットであり、その市況の行方は都市、サブマーケット、プロパティタイプ、そして物件ごとに異なる。大きな視点でマーケットの行方を把握しながら、一方で物件ごとに事業性を判断すべきであることは言うまでもない。
また、この稿ではオフィス市況の概要を整理したが、インドにはこれに加えて地域独特の商慣習などが存在することを併せて申し上げておきたい。
インドは今後も成長が期待される大きなマーケットである。このようなリスクを踏まえたうえで、ビジネスの可能性について追求していくべき「大陸」である。