組織体制や働き方から乖離したレイアウトを、移転を機に再構築。
”オフィスに来る意義”が感じられる空間づくりを、今後も推進。
キャタピラージャパン合同会社
ビジネスサポートサービスマネージャー
森田 康太郎氏
会社の組織変更に伴う 拠点再配置の必要性
弊社は、世界最大の建設機械メーカーである米キャタピラー社と三菱重工の合弁会社として、1963年に神奈川県相模原で創業しました。その後、50年にわたる日米の合弁会社として成長を続け、2012年にキャタピラー社の完全子会社になりました。現在は外資系企業ですが、このような経緯からか、今も三菱重工の組織文化を引き継ぐ日本的な一面も併せ持っています。
国内拠点としては、1987年本社を東京都港区に、1993年には世田谷区の用賀に移し、経理・人事などの管理部門と、製品の国内導入や販売企画事業、販売店サポートなどを担うマーケティング部門を置いてきました。また、相模原(相模事業所)と兵庫県明石(明石事業所および油圧ショベル開発本部)にそれぞれ拠点を持っています。
昨年12月、本社を用賀から横浜市のみなとみらい地区に移転しましたが、本社移転を検討し始めたそもそものきっかけは、3年前から国内拠点再編の動きがあり、本社機能の人事・経理・ITといった部署が明石に移転するとともに、用賀の本社に残るマーケティング部門と、中野区の中野坂上にある国内販売会社の本社とのシナジー効果を検討することになり、両社の本社を同じ場所に移転させる検討を開始したことです。その時、CBREさんから提案いただいたのが横浜です。近年は横浜で大型オフィスビルの供給が増えているうえに、都内よりも賃料水準が低く、横浜市の手厚い補助も受けられることが推薦理由でした。しかしこの時は、販売店側がコストをかけ移転する必要性が薄いと判断し、本社移転には至りませんでした。
市からの助成と広いワンフロア 横浜を選ばない理由はない
事態が急展開したのはその後です。相模事業所で予定していたコンポーネント生産そのものを明石事業所や海外の工場などに移管するよう方針が転換され、相模事業所の閉鎖が決まりました。閉鎖に伴い、生産部門は閉鎖となるものの、そのまま事業を継続する部門を他の場所に移転する必要性が出てきたのです。
ここで選択肢は3つありました。①用賀の本社を増床し、相模原の部隊を用賀に移す、②本社はそのままで、相模原の部隊を別の場所に移す、③本社と相模原の部隊を統合して移す。①に関しては、用賀のファシリティコストが決して低廉ではなく、またワンフロアの面積が狭いためすでに複数階に分かれており、増床するにも離れた階を借りることになり使い勝手が悪いなどのデメリットがありました。②に関しては、厚木周辺で候補物件があったものの、拠点が分散されることで管理コストがかさむなど是非を考える必要がありました。一方、③の統合移転であれば、一度候補に挙がった横浜がベストだろうという社内合意が早い段階で取れていました。これらを検討した結果、横浜への統合移転を選択したという経緯です。
決め手となったのは、前述のとおり東京に比べて安い賃料水準と、ワンフロアもしくは2フロアで移転予定の約300人を収容できるオフィスビルが複数あったことです。そして、最も大きな要因として挙げられるのが、横浜市の「企業立地促進条例」による助成制度です。アジアに進出する外資系企業は、国や自治体からの優遇の有無を重要視する傾向にあり、助成制度はグローバル本社を説得するうえで重要なカードであったことは確かです。反対に、これらの条件が揃った横浜への統合移転を選ばない理由はありませんでした。横浜駅周辺とみなとみらいに絞って移転先を探した結果、空室状況や賃料などを考慮し、みなとみらいの「OCEAN GATE MINATO MIRAI」に新本社設立を決定。我々の本社には海外からの出張者も多いため、羽田や成田空港からのアクセスも良く、明石に移動する際の新幹線の便も良いこと、さらには近隣にホテルも多いという点でもみなとみらいは好立地だと考えています。
働き方の進化に合わせたオープンで柔軟な環境を実現
新本社では、オフィスをワンフロアに集約し、各部署の業務に応じて自分たちで自由に席を選べるフレキシブルゾーンと、メンバーが集まって座るファンクショナルゾーンを両立させたハイブリッドの制度を導入しました。ただし、当初からフリーアドレスありきで考えていたわけではなく、旧オフィスでの課題を解決するのに相応しい施策として採用したのが、フリーアドレスだったということです。というのも、旧オフィスでは、旧来の日本企業によくある部門ごとの島型レイアウトを採用していました。島の窓側の端に課長が座り、序列によって席が決まるスタイルです。しかし、日本法人がキャタピラー社の完全子会社になり、グローバル共通のビジネスユニット制が導入されると、自分の上司は北京やシンガポールにいるという社員が多々生まれます。つまり、島型レイアウトが働き方の実態に合わなくなっていたわけです。また、使用面積が広い割に会議室が不足するなど、無駄の多いスペースの使い方も問題でした。
オフィス設計にあたっては、CBREさんのオフィスや様々なオフィス機器メーカーのライブオフィス見学が大変参考になりました。米国本社で始まったオフィスイノベーションのキーワードである「Open, Choice, Flexible, Identity, Wellbeing」の実現と社員代表者による意見も検討の結果、オープンな空間に、個人業務のためのスペースや他の社員と共同で仕事ができるスペース、コミュニケーションスペースなどを設け、仕事内容に合わせて自由に働く場所を選べる環境を整えました。また、幹部用の個室を減らしてコア側に配置することで、12階からのパノラマビューを社員全員が楽しめる健康的な職場環境にも配慮しました。これにより、社員間のコミュニケーションが活性化したのみならず、幹部が個室ではなくオープンスペースで執務するようになり、社員と幹部のコミュニケーションも取りやすくなったという予想外の効果も生まれています。移転前の社員アンケートでは半数以上が「不安」と答えていましたが、移転後は9割が「満足している」と回答しており、新しいオフィスが社員に好意的に受け止められている手応えを感じています。
我々はオフィスイノベーションを「働き方改革のひとつ」として位置づけ、旧来からの人事制度の見直しも同時に行っています。そのひとつとして、育児や介護に限定していた在宅勤務をすべての社員を対象とする制度を始めました。今後、社員にとって働く場所の選択肢が増える中で、自宅以上に快適に働ける空間を提供したり、オフィスだからこそ可能な社員間のコラボレーションを促進したりすることで、“オフィスに来る意義”を感じられる空間を作っていくことが重要であると考えています。オフィスを作って終わりではなく、グローバルなチームがポジティブな経験を通じて能力を最大限に発揮できる環境の実現に向けて、今後も継続的に改善を図っていくつもりです。