はじめに
海外進出を検討する企業にとって、進出先国の不動産マーケットを知ることはもちろん、グローバルなマーケットの潮流を把握することも必要である。今号では、世界中で事業展開を行うCBREが蓄積した幅広いデータに基づき、米国、欧州、アジア主要都市のオフィスマーケットの動向について解説する。
執筆(第1章~3章)
シービーアールイー㈱
小林 晋也
グローバルのオフィス賃料動向
【図1】のグラフは、アジアパシフィック(24マーケット)、欧州・中東・アフリカを包括するEMEA(68マーケット)、北アメリカ(米国50 マーケット、カナダ10マーケット)の優良ビルの成約見込賃料(米国マーケットはマーケットの平均募集賃料)に基づき、リージョン(地域)別の賃料推移を示したものである。
当該グラフを見ると、オフィス賃料は好況期に上昇し不況期に下落しており、景況感に連動していることが読み取れ る。また、リージョン別に賃料のボラティリティに差異は見られるものの、トレンドに大きな差異は見られない。具体的には、ITバブル崩壊、米国テロ、SARS問題などにより景気低迷期であった2001~2003年や、リーマンブラザーズの破綻後で世界的な信用不安に陥った2008~2009年に、各リージョンとも賃料は大きく下落した。
経済のグローバル化に伴い、大手企業が海外進出することは一般的となっており、マーケット内の優良ビルには、国内・外資問わず多国籍企業が入居している割合が高い。このような背景もあって、優良ビルの賃料はリージョンを問わずグローバルの経済動向に連動する形で類似したトレンドを示しやすくなっている。
しかし、直近で景況感が大きく変化したリーマンショック後の後退期(2008~2009年)の世界的な賃料下落局面以降は、リージョン別に差異が生じるようになった。
まず、アジアパシフィックでは、2009年後半に賃料が底打ちし、2011年半ばまで他のリージョンと比較して大きな上昇を示した。当該リージョンの賃料上 昇を牽引したのは、香港とシンガポールであった。世界的な信用不安が続く中、中国や東南アジア各国の経済成長は底堅く、香港やシンガポールは周辺諸国のハブとしての拠点性が高いことから、欧米の金融機関の大型需要を取り込む等、堅調な需要に支えられていた。
しかし、アジアパシフィックでは2011年半ばから賃料の上昇は鈍化し、その後は概ね横ばいで推移している。これは、EMEAの影響が大きいものと考えられる。
EMEAの賃料指数の推移を見ると、2009~2011年に賃料は上昇傾向であったものの、2011年半ば以降は軟化している。同時期にギリシャの財政破綻懸念が報じられ、スペインやポルトガルといった国でも、厳しい財政状況が浮き彫りとなった。これが欧州債務危機問題として世界中に信用不安を再燃させ、この影響を受けて優良ビルの主要テナントであった欧米の金融機関は、使用面積の拡張や新規開設などの動きに消極的になった。
さらに、ドイツやイギリスなどの一部の国を除き、欧州各国の失業率は現在も上昇傾向が続いており、雇用環境に改善の兆しが見えていない。その結果、EMEAの賃料は、他のリージョンと比較して回復が鈍い状況が続いている。また、欧米系の金融機関による占有割合が高い香港やシンガポールの賃料も軟化してきている。
また、リーマンショック以降、米国のオフィス供給が抑制気味であることも、需給バランスの改善要因となっている。このような状況の中、マーケット内でも競争力の高いビルを中心に強気の賃料設定が実施されるケースが散見されるようになってきている。
都市別のオフィス賃料動向
前項では、リージョン別の賃料動向について考察を実施したが、【図2】では、世界の主要都市の直近2013年第3四半期時点における賃料の位置付けをプロットした。当該グラフは、過去10年間(2004年以降)の賃料推移の中で2008年の賃料(現地通貨ベース)を100とし、最高値を上辺、最低値を下辺、 直近の値を●印で示したものである。つまり、●印が上辺に近いほど過去の推移の中でも直近の賃料水準は高く、●印が下辺に近いほど過去の推移の中でも直近の賃料水準は低いことを示す。
直近2013年第3四半期の賃料が過去の推移の中でも低位な水準に留まっている都市は、東京と、雇用環境の悪化に歯止めがかからないマドリッドのみである。こうした状況を鑑みると、東京オフィスの賃料は、他都市のオフィスマーケットと比較しても回復が遅行しているといえる。
東京マーケットの回復が遅行している要因として、世界的な信用不安により極端な円高が長引いたため外需依存度の高い企業の業績 が低迷した点や、2011年に発生した震災により景気の回復が遅れた点などが挙げられる。このような状況の中、2012年の東京の新規供給面積は約28万坪と大きく、マーケットの中でも立地優位性が高い「丸の内・大手町」エリアでの複数の大型開発が供給された。賃料負担力の改善が追い付いていない中で、トップレントマーケットで需給バランスが緩むと賃料が下押し圧力を受けやすかったことも、賃料の上昇が遅行した要因の一つと考えられる。
足元では、上記の新規供給の稼働状況は概ね良好であり、グレードAビル全体でも空室率は低下傾向である。需給バランスの改善を背景に、優良ビルを中心に賃料は上昇の兆しを見せていることから、今後は回復が遅れていた東京マーケットの巻き返しに期待したい。
このように、優良立地に大規模供給が控えているため、賃料の上昇が抑制されてしまうケースは、東京固有の問題ではない。
類似した状況に直面している都市として、上海が挙げられる。巨大化を続ける中国マーケットへの参入意欲は強く、オフィス床の需要は旺盛である。中国内で、上海に次ぐ市場規模を有する北京では、2008年のオリンピックに向けて急ピッチで開発が進められ、その後の新規供給は抑制気味であった結果、2010年から需給バランスが逼迫した状況にあり、賃料は大きく上昇している。
一方、上海では現在も賃料の上昇が伸び悩んでいる。今後の新規供給面積が非常に大きいためである。上海では2014、2015年それぞれで、50万坪に近い賃貸オフィス床が供されると見込まれる。東京で過剰供給が懸念された2003年の新規供給面積が36万坪であったことを鑑みると、相当量の供給であると考えられる。
欧州債務危機以降、基幹産業の一つである金融関連の床需要が弱まったシンガポールでも、都心部の大型開発の竣工前に、既存優良ビルがテナント需要確保のため割安な賃料設定を実施するケースが散見された。
賃料が上昇局面にあるニューヨークやロンドンでも、大型開発が控えている「ダウンタウン」地区や「シティ」地区は、都市内の他のサブマーケットよりも賃料の上昇が緩やかである。
当然のことながら、賃料を決定する要因は需要と供給のバランスであるため、海外マーケットに参入する際も、今後の開発動向を把握する必要性は高い。